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February 18, 2005

南條史生さんへのインタビュー

横浜トリエンナーレ2001でアーティスティックディレクターをされた方へのインタビュー第2弾!今回は、現在、森美術館の副館長をされている南條史生さんです。日本に限らず、世界各国の展覧会でキュレーターをされた経験も踏まえ、横浜トリエンナーレ2005が成功するためにはどうしたら良いかなど、色々お話を聞かせて頂きました。

nannjo2.JPG1949年- 東京生まれ。慶応義塾大学経済学部・文学部美学美術史学専攻卒業。
1978年- 国際交流基金芸術交流部門展示課プログラムディレクターとして活動
1986年- ICA ナゴヤ ディレクターとして設立運営に参加
1990年- インディペンデント・キュレーターとして活動
     同年ナンジョウアンドアソシエイツ(株)設立
2000年- 森美術館副館長就任



1、横浜トリエンナーレ2001について?
今振り返って、率直な感想をお聞かせ下さい。
まず、いろいろなことを学びました。やはり美術館の展覧会とも違うし、規模が大きいという理由で普通と違うこともある。さまざまな事件が起こる前で、次々にそれを解決する決断力も必要になる。そういう細かい判断の積み上げで、全体が出来ている。それを通り抜けたという実感が、残る。
しかし今度は時間もないし、もう少し規模が小さくてもいいかもしれない。一方、あれだけ規模が大きかったからこそ、ジャーナリストにとりあげられた効果もあった。文化事業は規模が大きいほどうまくいき、小さいと無視される傾向がある。ただ、規模が小さくても効果が上がれば良いと思うので、2回目は作家は60~80人くらいで良いかもしれないね。

ディレクターが4人いたことについて
なんでも入る「メガウェーブ」っていう、大きなフレームがあって、その中で複数のディレクターがそれぞれにやっていた感じがした。もっと全体で何か訴えかけるメッセージがあっても良かった。自分としては四者四様では弱いので、最後まで全体がひとつのものとなるよう努力したつもりだ。建畠晢さんも同じ考えで、彼の選んだ作家と私の選んだ作家は、混ざって展示されていたんです。

アートに関心のない人にも来場してもらうよう工夫したことを具体的に教えて下さい。
あらゆる努力をした!
メディアに載せるため、色々なストーリーを考えた。(例えば、巨大なバッタがビルにとりついているとか、子供達がワークショップをしているよ、といったようなもの)
また、商工会議所、婦人会など地域のグループに出向いて個別に説明したり、協力を訴えた。更に、若者にも来てもらうよう学校にも出向いて説明したり、参加を呼びかけた。
その他にも、町の中に出て行き、効果的な場所にアート作品を置いて町とのつながりを作って行くことも考えた。その結果、駅から見える作品(例えばチェ・ジョンフアのフルーツ・ツリーや、クイーンズ・モールの中の様々な作品)などを設置した。

横浜トリエンナーレ2001に関わった方たちのその後の生活において、関わる前と何か変わったことはありますか?
1年くらい、かなりの時間をつぎ込むため、トリエンナーレが終わると直ぐに元に戻れない。非日常から、日常に戻れないという感じがある。ドクメンタなんかやると、廃人になるといわれているけどね。


2、横浜トリエンナーレ2005について
横浜市からの報告によると、川俣ディレクターは横浜トリエンナーレ2005を「場との関わり」「見る人と作る人との対話」「作るプロセスを楽しんでもらう」ということに意識したいとの事ですが、これらについてどう思われますか?
川俣さんはアーティストだからこのように考えたのでは?作家なので自分のアイデンティティを考えた時、作る人と、観客の対話を重視している。それに作るところを見せていくこと事態をイヴェント化しようとしているのではないかな。横浜市の立場としては「横浜」という土地や「市民」を意識するのは当然だろうと思うけど、そういう考え方は行政とは波長が合っていると思う。
しかし、国際展は地元だけ見ていたら失敗する。国際的な評価も、計算に入れなければならない。そういう意味でハードルは二つある。そこが、こうしたイヴェントの大変なところだ。

では、今必要とされている国際展とはどういうものだと思いますか。最近の国際展は「どの地域も似たような感じだ」とも聞きますが、そのことも踏まえ、いかがでしょうか?
世界中の国際展を実際に見て周り「どの国際展も似たようなものだ」と言っている人は、実は世界中でもほんのわずかの人数しかいないだろう。その人たちの言っていることを基準にしても実は、それほど意味はない。翻ってみれば、日本の一般の観客は普通、国際展とは何か、そこでどのような作品が紹介されているか、たぶん全く知らないわけです。その人たちに、こんなアートの世界もあるよ、こんなことを世界中でやっていますよ、インドやブラジルでさえ、やっていますよ、ということを伝える必要があると思う。でも日本では、なにしろ初めてのことだから、まず知ってもらうだけでも重要だ。
しかし、一方どうせ開催するなら国際的な評価を得たいと思うのも当然だ。そのためには、一つの方法として、開催国、開催地域の特長を出すことが大切だろう。
以前、上海ビエンナーレが行われた時、上海の中身は、国際的に知られたアーティストが入っているけれど、同時期に開催された広州市のトリエンナーレでは中国の作家ばかりが展示された。だから広州がドメスティックだということで評価されないかというと、そのときは上海ビエンナーレよりも面白いと評判が大変良かった。だから、横浜トリエンナーレでは日本とアジアの作家を沢山見せることも一つの戦略になると思う。しかし、アジア・ビエンナーレやジャパン・ビエンナーレになってもいけない。作品にユニークなものをきちんと出せれば良いと思う。そして、その作品は、あえて横浜で作らなければならないわけでは無いと思う。作ってもいいけど、それが条件でなくてもいいのではないかな。
また、国際展の観客には開催国の観客、開催地域・市の観客、国際的な観客などの評価基準が複合的に要求されているが、それぞれの観客の評価基準は全部違う方向を向いている。そのバランスをいかにうまくとるかがアーティスティック・ディレクターの仕事であり責任でもある。全体のメッセージがバラバラになっていると意図が伝わらない。また純粋にいい作品だからということだけで、展覧会をやっても人は見にこない。キュレーターの仕事には広報戦略や経営的な視点も必要だ。

このことから、キュレーターという仕事とは何かという問いにたどり着く。どうも今回の経緯を見ると、キュレーターは、作家と作品を選ぶだけの仕事と思われているのではないだろうか。だから、仕事は趣味の問題と思われる。アーティストのリストをつくるのなら誰にでもできそうだと思われがちだが、実際は違う。まず、企画のコンセプトを最近の思想などを参照したり、ジャーナリスティックな問題にのっとって、様々な角度から検討し、どのような形で作家を選択するか考える必要がある。そして展覧会のためのPR戦略も練り、予算が足りないときには資金調達に走る。そうしたことの全体が全体として表現であり、プロフェッショナルな仕事を構成している。
このようにキュレーターの仕事は幅が広く、また展覧会は彼の表現でもあるとすると、今回の横浜トリエンナーレでも、まず場所を決めるのでなくディレクターを決めることが先であったと思う。2001年の横浜トリエンナーレが終わった時点で次のディレクターを選考し、その人と共に場所を探すべきだった。
(ちなみに南條さんは赤煉瓦倉庫に思い入れがあったとのことです。2001年はパシフィコがメイン会場でしたが、赤煉瓦倉庫も利用することになりました。また、横浜市内の廃墟ビルや山の手の洋館などの再利用を考え、ぎりぎりまでその許可を得るべく、奔走したのですが、図面がないなどの理由で許可が下りなかったとのことです。)

横浜トリエンナーレ2001の会期中、9.11のテロ事件が起こりましたが、南條さんの立場で何かしようと思いましたか?
9.11に反応した作家はヲダ・マサノリのみ。彼は自分のインスタレーション作品をカバーやガムテープで封鎖し、沈黙を演出した。私自身は彼に多大のシンパシーを持ったけれど、特に何もしなかった。何をすれば良いか分からなかった。ただ、この事件後、赤レンガ倉庫に置いたオノ・ヨーコの貨車の作品の意味が深まったと思う。あの作品が、一番意味が重かったような気がする。なにか人間の宿命、暗い部分、そして生きることの希望を重層的な意味として、抱えていたのではないか。その意味がテロによって、鮮明になった。

横浜トリエンナーレ2005に関わることについて
時代性を出すために若い人がどんどん出ていくようなものになると良いのではないか。やはりトリエンナーレは、若いアーティストの世界に向けての窓口であるべきだし、事実そうなっている。それは、キュレーターの自負であり、また責任でもあると思っています。また日本の美術を、世界の中に位置付けるという大きな責任も負っている。やはり極東の島国で、クール・ジャパンといわれても、いろいろな国からは遠い。そういう日本の現代の文化・芸術を、世界に知ってもらう、という役割があるでしょう。50年代からヴェニス・ビエンナーレにアーティストを送りつづけてきたが、それはいつも売り込みだけで、対等な関係ではなかった。横浜トリエンナーレはそうした一方通行の世界との関係を是正する大事な役割も負っている。

3、ご自身の今後の活動や夢について
森美術館では今以上に現代美術の若い作家を紹介したい。もうちょっとビビットな感じのひねりのある企画がしてみたい。
一方、それと同時に新たな国際展に関わりたい。国際展はすべてにおいての幅が広く、パブリックなコミュニケーションの場となる。また、この一瞬の状況を切り取る、という感覚も面白い。
国際展を開催する“場所”については、いつか“とんでもない場所”でやってみたいと思っている。たとえば、ヨルダンの遺跡の中とか、沖縄の島々の古い日本家屋とか。自然や歴史とアートを対話させてみたい。

4、横浜トリエンナーレに関心を持ち「はまことり」ブログを見て下さる方に一言お願いします。
横浜トリエンナーレに関心があるのなら、是非意志を表明して欲しい。サイレントマジョリティ(多数派の意見があるのに公の場で意思表示をしないため、声の大きい少数派の意見が勝ってしまうこと。)にならないように。

ということで、皆さんも「サイレントマジョリティ」にならぬよう、ちょっとしたことでも良いので是非、コメント下さい!
南條さん、お忙しい中、貴重なお話をたくさんして頂き有りありがとうございました。(武田、ドイ)


投稿者 doikeico : February 18, 2005 07:43 AM

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