「僕たちはアートよりずっと面白いことをやった」。室井尚さんへのインタビュー
前回のトリエンナーレで皆さんの記憶も鮮やかな出展作品のひとつ「インセクト・ワールド〈飛蝗〉」。椿昇さんとコラボレーションしたのは、横浜国立大学教育人間科学部教授(メディア研究講座)で、情報哲学がご専門でいらっしゃる室井尚さんです。
横浜国立大学の学生さんと一緒に現場を走った室井さんのインタビューをお送りします。
(インタビュー:2005年5月16日 横浜国立大学 室井研究室にて)
■会場の外で展開したかった
はまことり:
「トリエンナーレって何?」という横浜市民でもあのバッタのことなら憶えている、という方々は大勢いらっしゃるんですね。
そんな方々にも今回のトリエンナーレに親しみを持ってもらうためにどうすればいいか、又、現場に立ち続けた室井先生と、当時の横浜国立大学の学生さんたちがどのようにバッタ創りに関わったかということもお伺いできれば、と思っています。
室井さん:
ご覧になったんですか?
落ちた時? 破れた時?
はまことり:
離れて見てたら、なくて、そしたら落ちてて。
室井さん:
メイキングビデオもあるんだけれど、これはえらい大変だったんで、そう簡単にお話できるもんじゃない。今メイキング本も作っているしね。全部解決するのに3年がかりですから。
はっきり言って、人生でこんな目にあうことはもうないだろう、というぐらいひどい目にあいました。
はまことり:
こんなひどい目って・・・。
室井さん:
はまことりさんは、横浜トリエンナーレのボランティアをやってらっしゃるということですが、基本的に、行政主体で現代美術の展覧会をやるとだいたい碌なことがない。
全部が全部そうではないだろうが、まぁ僕らえらいひどい目にあったんですね。結果的に、3年かかって解決したからいいのですが、一歩間違えたら死んでましたね。
僕は完全に死ぬ覚悟でやっていました。
学生は、延べ200人ぐらい入ってくれて、コアになってくれたメンバーは15人くらいですが、ほんと死人が出なくてよかった。
なんでそんなことになったかというと、バルーンをつくった風船業者が全然うまく吊るせない。「バッタ」をつくった風船業者は、スーパーやサッカーグラウンドで短時間膨らませたことはあるけど、屋外に長期間設置するなんて初めてのくせに、「うちはできます」とハッタリをかました挙句に、全然うまくいかなくて逃げ出しちゃったんですね。
でかいバルーンと僕たちが屋上に置き去りにされた。
結局、トリエンナーレのオープニングに全然間に合わないまま、4日かかって設置したんですが、すぐにロープが何本も切れた。「ロープは絶対切れない」って、業者は保証していたのにね。しかし、明らかに変なんですよ。ロープが細すぎるとかね。
それで、学生たちが、「自分たちでロープの設計をやってみたい」と言ってくれて、結局僕たちが現場で全部やることになった。結果、世界中でこんなことやったの僕たちが初めてということで、他にはどこにもノウハウがないんですよ。
だからこれは根本的に間違ってたんです。二度とできないし、やりたくもない。基本的に不可能なことだったんですね、本当は。
そもそも誰がストップをかけるか。僕らはもう引き返せないという状態にあったので、もう行きがかり上やるしかなくなった。
「難破船で、太平洋の真ん中から自力で日本まで戻らなきゃならない」みたいな、そんな状況でした。
はまことり:
キュレーターや、ディレクターの方などが責任を持つということにならないのですか?
室井さん:
そういう体制にはなってないの。ディレクターにはそれほど大きな権限は与えられていない。
はまことり:
そもそも巨大なバッタを作った理由って何ですか?決断にいたった経緯を教えてくれますか。
室井さん:
僕と椿を組み合わせて何か爆弾を仕掛けてくれ、みたいな感じで、ディレクターの河本信治さんが引き合わせてくれたんです。打診があったのは、展覧会の1年以上前ですね、2000年の4月ぐらいでした。
それから半年ぐらいは椿さんと一緒にみなとみらいに行ってはぶつかりあってましたね。2人とも意地っ張りなもんで。
クイーンズスクエアの向かいの回転寿司屋に入ってビール飲んでる時に、ボーっと外を見てたら、その年に起きたアフガンのバーミヤンの磨崖仏をタリバンが爆破するという事件を思い出してね。それで、インターコンチの壁面がバーミヤンの台座みたいだよねって言ったんです。
昆虫ということでやろうということはだいたい話していたので、あそこにてんとう虫みたいなのがあったらいいよねって、冗談でね。それがきっかけ。
国家規模の芸術祭としては、横浜トリエンナーレはすごい低予算なんですよね。だいたい上海や光州と比べても相当少ないんですよ。しかもそれなのに見栄ばっかりはって、100組のアーティスト呼ぶみたいなことを言っている。だから一組あたりの制作費はすごい安いわけね。
で、CGでサナギとかクワガタムシだとか色々作ったんだけど、なぜか二人の話し合いにはなかったバッタが突然出てきた。
あの一帯を、僕らは「昆虫の王国」というか、最初の構想は「インセクト・ワールド・オペレーティングシステム(Insect World Operating System) IWOS」というタイトルで、ようするに昆虫のネットワークがあの一帯を支配しているみたいなイメージで、バッタだけでなく、いろんなユニットを配置したかったんですよ。あの一帯が、全部昆虫の地下のネットワークによって支配されている。
帝蚕倉庫の上にあったディスプレイにも映像を流し、赤レンガの展示もして、それ以外もシールだとか、相当たくさんモジュールがあって、そういう風にしたかった。
なぜそういうことにしたかっていうと、二人とも相当むかついていたわけですよ。事務局というか、展覧会の体制に。パシフィコの展示ホールの中の無理やり作ったブースみたいなものの中に置くのは絶対ヤダ、と。
なんでバッタなのってみんなに聞かれるけど、一番でかいのを作りたかったからね、僕としては。本当は甲虫にしたかったんですね。クワガタとか、ヘラクレスオオカブトとかね。なんとなく「昆虫の王」という感じがするでしょ?でも、バッタのCGが非常にインパクトがあったんで、これでもいいかと。イナゴって、虫偏に皇帝の皇と書くから、まぁ昆虫の王じゃなくて、昆虫の皇帝でいいかと、いうぐらいの感じで決めたわけなんですよ。
はまことり:
アンチグローバリズムということもあったのでしょうか?
室井さん:
「バッタはインターコンチネンタルな昆虫なんですよ」という理屈を後から考えた。ほかの虫って、大陸によってみんな形状が違うでしょ。しかしバッタって、どこの大陸でもこのかたちしているから。どこの国の人から見てもわかる、というわけです。
はまことり:
学生さんたちも死ぬような思いで、現場で作業をされたと思うんですけど、学生さんたちがこれを期に変わったということはあるのでしょうか。
■「バッタ」を支えていたのは
室井さん:
ぼくらの学科、マルチメディア文化課程っていうんですけど、ちょうど8年ぐらい前に僕たちが作って、たとえば唐十郎さんを立ち上げから呼んでいるわけですね。まぁ、一応、マルチメディア文化課程というのは、芸大や美大とは違う意味でね、情報時代にどうやって文化を発信できるかっていうことを考えて、いろんな試みをやっているんですが、このバッタを中心になってやっていた連中は「唐ゼミ」の学生です。もともと唐さんの大学でのマネジメントも主に僕がやっているからですね。
ウェブだとかチラシができるデザイン系のやつらがいれば本当はそれで済むはずだったんだけど、現場に入ることになってしまって、結局そういう作業系の人間が必要になったんですね。
中心になってくれて、声出しとか中心になってくれた唐ゼミの連中はそれから相当頑張っていて、しかも認められて、今年の9月10月には新国立劇場のプロデュースでデビューすることになっているんですよ。
はまことり:
唐ゼミということは、演劇系の方たちだったんですね。
室井さん:
何系とかいうことは、あまり気にしないんです、うちは。「バッタ」を扱うというのは、結局唐さんところのやり方で、テントをやっているのと一緒なんです。
僕もやりながら気づいたんだけど、一枚布のテントは300キロあるんですけど、劇団員で持ち上げて、風の中で戦っているわけでしょ。バッタは800キロあるんですけど、基本的に唐さんのやってることと一緒だなって、やりながら気がつきました。
とにかく気象の問題があって、特にみなとみらいや赤レンガ倉庫前は風が異常に強いところで、うちで風洞実験をやったんですね。僕らの大学の土木研究室って言うのは、本四架橋とかもやった、耐風設計では日本でも有数のところなんですよ。そういう橋とかかける時にやるのと同じ風洞実験をやったんだけど、結局は全く役に立たなかった。
そこの研究室の人たちも皆現場に来て空見上げてましたよね。なにしろとんでもない場所なんです。風速15メーターで危険ということだったけど、毎日15メーターくらい平気で吹くからね。
それで、まぁ、「バッタ」がきちゃってからはどうしようもない。ほかのユニットとかには全然手が付けられなくなっちゃった。
ただひとつ残念だったのは、帝蚕倉庫の上にあった円盤型ディスプレイに流す映像を、橋本誠っていう学生が創ったんだけど、突然ドタキャンされちゃって流すことができなかったことですね。今でも思い出すと腹が立ちます。
はまことり:
ドタキャンされたのはなぜですか?
室井さん:
2つの原因があって、1つは担当の役人がだめだった。役人って何が悪いかっていうと、縄張り意識がすごくあるでしょ、縦割りで。
僕たちとしては、資金難で、できるだけ多くのところから協賛金が欲しいから、いろんな会社に出向きたい。2001年のトリエンナーレでメリットがあるのは、みなとみらいに関連している企業が会場付近に集結しているから、そこにお願いに行きたい。なのに、わざわざ止めに来たからね。「私を通してやってください」って、会いに行かせなかったのね。
でも何とか説得して、その人と一緒に企業の担当者に会うことができて、その担当者も「全然問題がないです」ということで納品して、上映を待つだけだった。そしたら上映の直前になって突然、「上の者から『なんでこんなもの流すんだ』ということになり、だめになりました」って連絡があって、上映不可ということになった。
そこでまた役人に「直交渉しないでくれ」って言われて、1ヶ月粘ったけれど、結局断られてきちゃって。そんなんだったら、最初から企業のもっと上のほうの人に、堂々とお願いしていればよかったなって。だいぶ悔やみました。
他のプランは、ほとんどあきらめましたね。携帯電話を虫にみたてたりするとか、いろいろやりたかったんですけど、バルーンがあまりにも化け物でね。
僕がこの大学にいなければ、絶対できなかったことです。あと携帯電話がなかったら無理だった。緊急事態があったりすると、みんな予定を入れていたりするから集まる
のが難しかいのですが、それでも人数が集まらないと作業ができない。携帯電話で連絡すると、時間をつくってみんな集まってくれた。わけわからない状態でいきなり連れてこられた人ばかりなんですよ。「たまたま名古屋から遊びに来ていた友だち」とか。
はまことり:
途中で風船会社の人たちは逃げたけれど、現場にいる学生さんたちは逃げないで、人が足りなければ携帯電話で友だちを誘ってきたりして。
室井さん:
これができたらインパクトあるな、ぐらいには思っていたんだけど、予想以上にすごい反響があった。僕たちから見てすごく嬉しかったのは、子どもと老人の反響ですね。子どもと老人は圧倒的にすごいわけで。特にやっぱり小4ぐらいまでの子供がすごいですね。
橋本君がつくった映像の中のメッセージに、「昆虫になること、幼児になること」って入っているけど、やっぱり昆虫というのは幼児性と関係していると思う。
子どもって、地上に置いて公開するようになってわかったけど、ふかふかするものに異常にこだわるでしょ、ソファとかベッドとかって。地上に置くと、究極の遊具っていうか、もう朝から晩まで帰らないですよね。全然気づかなかったんだけど、いちばん最初に
地上置きしたのは横浜市西区の公園でやったんだけど、朝から晩まで近所の子が来て、撤収するまで走り回っていて、見ててびっくりしちゃった。なんでそこまで面白いんだろうと思って。
それは水戸芸とか金沢とかいったときも、常々感じることで。とにかくちっちゃい子どもが異常に好奇心を示して。
はまことり:
水戸で見たときも、子どもがすごい寄っていました。
室井さん:
あれはまぁおまけだけど、地上置きをやってみて、なるほどなーって思いましたね。地上に置くものではないですからね、もともとね。そういう風には考えてなかった。最初に地上に置いたのは、事故で顔の部分が15メーターもやぶれたから。あんなにやぶれたらもうだめだって下におろしてみんなで家庭用ミシンや手縫いで縫い合わせたんですね。もうぼろぼろなんですよね。
それで、下に降ろして、しょうがないからふくらまして、展示して。その時にあそこは下がコンクリートだったから、あまり近寄ると危ないだろうって、ロープ張ってやったんですね。
はまことり:
「バッタ」の現場は、大変な思いばかりだったんですね。
逆に、やってよかったと思えるようなことはありますか?
室井さん:
多分、椿と僕と河本さんで、三人三様っていうか、僕は美学者というか、理論家なんで‥‥。
はまことり:
作家さんではない。
室井さん:
僕はあまり作家かどうかというようなことは気にしてないんです。もともとそういう風にはならないようにしようと思ってね、僕自身が作ってるというよりも、「うちのチームでつくっている」わけで、そういう学生を育てているわけなんですから。
この作品、誰の作品かわからないところが面白いんですよ。
風船業者の問題なんだけど、当然広島の工場で作っているだろうと思ったから、現場に行っていろいろ指示すればいいと思っていたんですが、結局業者はフロリダの工場に発注しただけだったんですよ。
それでみんなびっくりしちゃって、フロリダの工場に行くわけにいかないし、作業工程のことがわからない。グローバリゼーションみたいな話だけれども、フロリダの工場で働いている労働者はいくら残業手当だしてもみんな5時で帰っちゃうから予定がどんどん遅れてますって言ってきたりして。
最初、現物を見たのはここ(文中注:横浜国立大学)のグラウンドで、発注したときのデザインと、どう見ても全く似ていない。でも、むちむちしていて相当かわいいんで、これだったらいけるやろう、という話でいったのね。
僕が言いたかったのは、三人三様というのは、河本さんは、これはアートであると言うでしょう。なぜアートであるかというと、人間文明へのラディカルな批判を含んでいるからって言うだろうと思うんです。椿だったら、こういう何かわけわかんないものがアートなんやと言うだろうと。
僕は、アートというものをただの口実にして特異な「場所」を作ったんだと思っているから。別にアートじゃないと言われても全くかまわない。
だいたい現代美術業界の人からは評判悪いわけ。特にモダニズム系の人から。でもね、バルーンつくったの僕たちじゃないから、モダニズム的な批判はナンセンスだと思っていて。アートじゃなくて全然いい、アート以上だと思っているから。
さっきも言ったみたいに、本会場は35万人しか入らなかったけどね、バッタは軽く2、300万人以上は見ているはずなんですよ。たぶん、市内で働いている人たちは毎日見ているはずだし、品川とか川崎あたりからでも見えるはずなんですね。これ71日の会期中、揚がったの、23日なんですけどね。23日もよく揚がったなと思う。やってる最中はすごく残念だったけど、あとから考えるとかえって毎日揚がってないのもいいかな、と。
はまことり:
目撃できた人はラッキー!
室井さん:
そう。揚がらない時は、1日100件ぐらいクレームがあったらしいんですね。それもいいだろう、と。
だいたい展覧会で気に入らないのは、大抵の作家は設置とオープニングで帰っちゃうでしょ。(美術)業界の人って、オープニングにだけいればいいって思っているわけ。僕ら毎日戦ったわけだしね。
椿は毎週のように顔を出して、その結果、20数年働いた勤め先をクビになっちゃったんだけど、そういう風に人生を巻き込んでいくっていうほうが、ただ単に設置してそのままにしてあるアートよりも全然面白いと思うんだけどね。
そういう意味では、ある意味演劇的ですよ。必ず人が介在していないと成立しないというようなところもあるし、そういう意味でも面白かった。
だから今回も、川俣さんなんかはワーク・イン・プログレスということを言っているわけですから、いくらあるのか知らないけど、5億円あるんだったら、丸太でベイブリッジの横にでかいつり橋を創ればいいんで、あとは余計な作家は呼ばなくていいと思うけどね。
とにかく、今回はひどいよ。磯崎さんが悪いっていうけれど、磯崎さんをディレクターにしたのが遅い。
なんで遅いかって言うと、会場が決まらないからって。それも変な話で、ディレクターが会場を探せばいいわけで、有名人もってきて、役人が全部自分たちで仕切ろうと思っているからそうなるんで。最初からよくない立ち上がりですよ。
ボランティアについて言えば、もちろん当時はボランティアの人は親切だったし一生懸命サポートしてくれて、感謝しているところはあるんですけれど、あくまで僕たちが動いているのが前提でしょ。市民のお祭りというけど、あくまでも作家やディレクターがいての話だと思うんですよ。たとえば事務局側は、作家や作品が決まる前からボランティアだけ募集しようとする。こっちがまだ体制ができていない時に、何だかおかしいと思うわけですよ。
妙に美術ボランティアのブームでね。こっちがフラフラして、どうなるかわからない時に、ボランティアのことなんて考えられない。
バッタなんかほんと大変で、なんでできることになったのか今でもよくわかんない。
はまことり:
今度同じような話が来たらどうします?
室井さん:
みんなそう言うわけね。バッタは確かにインパクトがあるから。美術系じゃない普通の人に、「室井さん今年何やるんですか」って。
それはディレクターが決めることだから知らないよね。
はまことり:
万が一、国際展の話がきたら?
室井さん:
僕のところには一切ないですね。それは、「(美術)業界ではあんな恐いことをさせるわけにはいかないって、みんなびびってるんじゃないの?」って言われています。
みんな「アート」の枠の中でしか考えないから、冒険したくないんだと思いますね。
でも、ぼくの周りではいつも面白いことが起きていますよ。
■現場で学んだこと
室井さん:
たまたまその辺にいた元バッタチームの前田君を紹介しましょう。
前田は当時1年で、いまは5年生ですね。唐ゼミをやっていて、(これからやる公演の)舞台監督だからそこに来ていたんですけど。
はまことり:
話聞かせていただいてもよろしいですか? どうだったですか? バッタづくりは。
業者さんも逃げたぐらいの。
前田さん:
僕が1年の時だったんですけど、手伝いにいった時には、インターコンチネンタルホテルにもうバッタがくっついている状態だったんですよ。そこから毎回毎回膨らませて上げたり下げたり。主にその作業を手伝いました。
はまことり:
お疲れさまです。現場がすごく大変だったみたいで。
前田さん:
そうですね、風がめちゃくちゃ恐かった。
はまことり:
そうですよね。一歩間違ったら死んじゃうぐらいの。
前田さん:
へたに飛ばないようにしてたら、自分が飛ばされちゃうって感じ。
はまことり:
みなさん必死でいる現場にいて、学んだこととか変わったこと、気づいたことはありますか?
前田さん:
そうですね・・・やっぱりまずその、言ってみればまだ1年生なんで、ほとんど入りたての気分が抜けていないんで、大学生だから、もっと勉強するものと思っていて。それがいきなり恐怖の現場ですからね(笑)。
はまことり:
バッタは今振り返ったら勉強になったんじゃないですか?
前田さん:
そうですね、ものすごい、鍛えられましたね。
まず体が鍛えられたのと、あきらめなければ何とかなる、ということ。
あと、さらに、それでもあきらめなければならない時がある、というような、精神面が相当鍛えられましたね。
はまことり:
すばらしいですね。その経験をしたら、それ以降にきついことがあってもバッタのことを考えたらまだいけるって。
前田さん:
今度、唐ゼミっていう劇団で、テント公演なんですよ。テントを野外に立てて公演をするんですけど、テント建てるのに、雨とか風とかと、ものすごく戦うんですよ。でも、バッタやったことで、だいぶ免疫がついたと思うんですよ。
はまことり:
役立ってる?
前田さん:
そうですね。
室井さん:
やってること一緒だもんね。ロープの結び方とか本みて勉強してたもん(笑)。
前田さん:
ほんと何も知らなくて。よくやった、よく死ななかったって。
はまことり:
死に直面するって、普段の生活であまりないですよね。そこまで危機に迫るって。
前田さん:
普通の大学生ではできないことができたなって。
室井さん:
テントは大変だけど、これほど死の危険に直面するようなことはなかった。
はまことり:
本当に命がけだったんですね
前田さん:
そうですね。
はまことり:
募金を集めるときに、ウェブとか口コミとか使ってやられたって伺いましたが。
室井さん:
そうですね。
はまことり:
チラシはどちらで配ってたんですか?
室井さん:
まぁいろんなところで。募金はでもほんと大変。すごかったですね。
もちろん知り合いも多いけど、知らない人も多いから。めんどくさいじゃないですか。郵便局とか、それでもすごく沢山募金が集まりました。
■才能があるかどうかなんて
はまことり:
いろいろ大変だったっていうのはよくわかりました。
室井さん:
(はまことりさんは)何をやっているんですか?
はまことり:
広報的なこと、アートの記事を書きたい、経験を積みたいって思って参加しています。
室井さん:
ウェブとか見てると、「市民」って言っている人たちは、セミプロとか、もともと業界関係者のような人って感じがしますね。
ようするに、横浜市もそうなのね。なんか、役人がね、今回はノリ過ぎ。
はまことり:
やる気がありすぎると困っちゃう?
室井さん:
だったら最初からディレクターなんて使わなければいいんで。ちょっとそういうところがね。「われわれが勝手に盛り上げますから」って、連携がよくない。
だから、役所主導だと・・・(ぶつぶつ)。まぁポジティブに言えば、横浜市がやる気を出したことの少しいいところは、役人が本気になれば、空き地を使う、空いている施設を使うっていうのが簡単にできるんですよ。そういう意味では少し良くなった。
だって、水戸だって水戸芸術館が動くことによってね、廃ビルみたいなもので展覧会をやるとか、やろうと思ったらいくらでもできるんですよね。
だけど個人だと絶対できないわけですよね。要するに、権利を持っている人たちとかが動かないと。
はまことり:
バッタのイメージが研究室にたくさんあるんですけど、もともと昆虫に興味があったんでしょうか。
室井さん:
多少興味があったけど、別に、普通ですよ。それは最初のコンセプトで、企画書みたいなものに、それは書いたんだけど。まぁアンチ・グローバリゼーションというか、ビジネスと経済が世界を一元的に支配することに対する批判ですね。
われわれは生き物で、生き物の中でいちばん繁栄しているのが昆虫と考えて、昆虫っていう視点から人間の文明を見直していく、というのが最初のコンセプトですから。
今思い出したけど、多少美術系に関係のあるプロジェクトとしては、この後に、バスのデザインをみんなでやったんですね、ちょうど横浜市の交通局からお願いが来て。一応バッタチームで、ということになるけど、みんながやるわけじゃないから、僕のところでチームを組んで。
普通そういうのって、学生に作らせていいのを選ぶみたいにするけど、これだけメンバーがいるので、半年かけてじっくりやった。ここで毎週金曜日集まって、ブレストからはじめてね、ようするに、学生に勝手にさせるってたいていつまんないのね、好きなことさせるとね。
そうじゃなくて、みんなでだめ出ししながら、全員のアイディアを出しながら絞り出していく。実際にデータを作るは、最後は個人だけど、そこにいたるまで全員のアイディアが入っているから。
2年前に、その展覧会やったんですよ。
![]()
←「バッタチーム」による「バス」プロジェクトでつくられた、バッタデザインの現役バス。みなとみらいで1台だけ走っています。
フリーペーパー印刷のためみなとみらいに来ていた「はまことり」がたまたま遭遇、すぐさまパシャリ☆見れたらラッキー?!
*
*
だから、まぁ、唐さんがいるということで「唐ゼミ」みたいなものができたということと、 バッタがあって、学生の力が引き出せたという両方あって。まず、気を抜いたら死ぬとか、すべてを犠牲にしないといけないような「異物」、それが「場所」ってことですが、そういう「場所」を作りだすことが一番大事だと思っていて、それはアートなんかよりもずっと面白いことなんですよ。
日常と全然違ってくるわけでしょ。それで、普段では絶対出ないようなパワーが出てくるわけね。そのパワーって言うのがちょっと予想を超えているわけですよ。できそうなこと以上のことができちゃうわけね。人の潜在的な力が引き出されてくる、というのがバッタで学んだことですね。
だから、バスのときも、普通に「みんな勝手にデザインしてこいよ」って言うんじゃなくて、追い込むんですね。ちょっと過度のことをさせる。
最後の展覧会をやる前は、みんな3日間ぐらい寝てないのね。夜中じゅうメールのやりとりなんかで作業やってるんでしょ。その状態を作り上げるっていうのが大切だと思いましたね。
ようするに、ワークショップとか大学の授業とかっていのはダメなわけよ。みんな「これぐらいでいいでしょう」っていう線を引いているから。ワークショップみたいにみんなで一緒にやりましょうってところでは、本当の人の力って出てこない。みんな、だって、才能があるかどうかなんて出し切ってみなければわからないわけでしょ。
たとえば、授業の感想とか書かせたりすると「だめだなぁ、お前」、みたいな感じでも、 現場にいると、とんでもないパワーが出てくる。現場に入ることでしか自分の中にあるすごさに自分でも気づかないんですよね。
だから僕もそうだったけど、現場でやってて相当学んだことがあるんです。唐ゼミもそうだし、バスもそうだけど、どうやったらこいつらが持っているすごい力引き出せるかということをずっと求めてきたし、これからも求めていきたい。
もうひとつは、大学がどんどん立ち腐れつつある、というか、だめになっているけど、僕は、大学からしか生まれない文化をつくろうと思っているんですね。あのバッタは大学がなければけっして生まれなかったんです。
「唐ゼミ」もまたひとつの成果でね、今、正直言って日本中の演劇の中でプロも含めていちばん面白いって思っていますよ。相当口を出すし、プレッシャーをかけているんだけど。
大学からしか生まれない文化がある。プロがえらいって思っているから、みんな専門学校に行ったりするけど、大学でしかできないことがあって、プロにはできないことがある。
国立大学なんて特にだめになったけど、そこらへんを歩いている学生みたいに、資源もあるし、時間もある。プロには出来ないことがいくらでもあるわけですよ。
大学からしか生まれない文化、というか、若いやつらにしかできないこと、若者文化って言ったって、結局大人たちが商売の道具として利用しているようなものしかないわけです。
そうではなくて、本当に大学という場所でしか生まれない文化があるんじゃないかなって思っています。
そのためにはなにか「異物」が必要なんですよ。
バッタの怪物みたいなバルーンだとか、唐十郎とか、あるいは、まぁおよばずながら僕とか。そうやってバッタが創り上げていった場所を自分の周りにこれからも創っていくことしかないと思う。で、そういう人が集まれば面白いと思う。
川俣さんが言うワーク・イン・プログレスって、それに近いんですけどね、ディレクターになんかなっちゃいけないよね、だからね。自分がそういう場所にならないと。ボランティアの人たちはそういう場所を嗅ぎ付けなきゃいけないし、ほんとは自分たちが作らなきゃいけないわけでしょ。
自分がそういう場所を作れない人がそういう場所に入っていって、楽しさだけ味わおうとしても、それは無理なわけよ。逃げられないみたいなところに追いつめないと、そういうことは出てこないんじゃないかな、と思うんですけどね。
(インタビュー終わり インタビュアー:ドイ)
投稿者 澤田mito : May 29, 2005 11:23 AM
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2001年横浜トリエンナーレの振り返り
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