椿昇さんへのインタビュー
2005年4月29日(土・祝)、山下公園にて行なわれた「横浜トリエンナーレ2005」のキック・オフ・イベント会場でアンケートを実施した際、前回のトリエンナーレ開催から4年の月日がたっているにもかかわらず、「【トリエンナーレ】は知らないけど、バッタは知っている!」という声を多く聞くことができました。
「バッタとトリエンナーレのお話を伺えたら」と思い、「インセクト・ワールド、飛蝗」のアーティストのおひとりである椿昇さんにインタビューをお願いした、はまことり。
お話を伺っていると、バッタからアート全体、社会全体へ、話題が広がっていきます。
(インタビュー:2005年5月13日 都内にて)
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椿昇(Noboru TSUBAKI):1953年京都生まれ。京都市立芸術大学美術専攻科西洋画科修了。京都造形芸術大学空間演出デザイン学科教授。2005年「リトルボーイ展」ニューヨーク、パレスチナアルカサバシアターの美術を担当、同時にウェブを使った参加型プロジェクトを展開。2003年水戸芸術館で戦争と人間の関係を問う「国連少年」展を開催。2002年教育用ロボット「ニューロキューブ」をリリース。2001年横浜トリエンナーレ2001で室井尚と巨大バッタを展示。複数の大学を繋ぎ学生参加の多様なプロジェクト型アートを開発している。
Radikal Dialogue Project http://anj.or.una/
Votefone Project http://rdu.jp
■「現代美術」と検索すると・・・
はまことり:
事前にメールでお伺いしたい内容をお送りしたのですが、「インセクト・ワールド、飛蝗」の裏話や、横浜トリエンナーレ2005に期待すること、今回ボランティアスタッフの募集時期が近づいているので、スタッフとして関わった方のお話を伺えたらと思います。
椿:
うん(笑)、まーあの、長すぎる話だからちょっと無理やとは思うんだけど、裏話について、詳しくは室井先生に聞いてください。
あれって、アートって考えるんではなくて、一つの都市型イベントというのかな、プロジェクトと考えたほうがいいですよね。で、その前の前提となる話を、すこし根本的なお話をしたい。
たとえば、これって現代美術ですよね?で、アマゾンに行って、「現代美術」といって検索すると、一体本が何冊出るか。「パッチワーク」と書いたら数万冊、「ガラス」と書いても数千冊出てくる。でも、現代美術と書いたら片手も出てこない。
はまことり:
5も出てこない。
椿:
まともな本がね。いかにマーケットの関心がないか。現代美術ということが人々の関心の範囲に入ってない。
で、コンテンポラリーアートと聞けば、海外なんかは、たくさん本がでてくるだろうし、大量にある。だけど現代美術という漢字4文字が、日本の中では希少生物みたいに、ほとんど特別天然記念物級に少ない。ということは、誰もそんなことで検索しない。現代美術入門とかで引いても、1、2冊出てくるぐらい。だから、いかに相手にされてない業界か。
だけど税金いっぱい使っている。だから、はっきり言うとめちゃくちゃ得やね。これってよく考えたらコウノトリとかトキとかと同じ。だから現代美術は繁殖させないといけない絶滅種なんかも。
まず話の前提として、現代美術は絶滅希少種ということを確認。
なんとかこの外来種を根付かせようと戦後いろんな人たちが努力したり、横トリも含めて頑張ってきたけど育たない、この日本という厳しい?風土じゃあ。(笑)
だから、はっきり言うと、胡蝶蘭とってきてそこらの山に植えたら生えるか?
はまことり:
生えない。
椿:
生えないな。そのときに村上が気づいた。「日本の固有種はなにか。日本の風土で育ったやつがあるはずやん」。
だから綺麗な西洋のらんを持ってきたら植えたら植えられないけど、日本のらんがいろいろあるから。へんなんあるやん。OTAKUっていうのが。OTAKUらんとかある。
アニメらんとか、マンガらんとか、コミックらんとかいっぱいあるわけよ。そういうのを見たら、やたら茂っているわけでしょ。そんならまぁ、それを紹介しようかというのがストレートな姿勢でしょ。で、そういうことは実は逆に、きわめて根がはりやすい。たくましい植物で、雑草のように世界の子どもたちの脳にはびこるわけや。「ポケモン」とか。(笑)
はまことり:
イタリアに行って、サッカー場に行って『サッカー翼』を読んでる子どもがいて、すごくびっくりしました。
椿:
だからその、特殊なものと考えずに、現代美術、アートというものをひとつの野性の中における、自然のフィールドの中における植物とか、そういうもんと考えたらいい。
で、美術館という温室はかならず必要になっちゃうのね、そのままでは。でも、最近は温室の中で見せせても、みんな来ぃへんよ。というのは、はやりすたりがあるから、らんでもね。一時期流行ってうわーっとなるけど、それはみんながほんとに好きなものじゃないやん、実は。温室の中で一定の時期鑑賞するのはいいけど。そういう認識が美術関係者にあるのかな、ということ。
そういう工夫として、じゃあ根付かせるために、温室ではなくて、横トリとか、いろんなのが出てくるわけよ。温室に変わって、いろんなバリエーションが生まれてくる。
で、そういうフィールドと考えたとき、海外かららん取ってきて、温室に入れてそれでいいんだっていう時代ではなくなってきている。海外から持ってきて見せたらいいっていうそんなんじゃみんな納得しない。
アートとかマンガとか読んで育ったやつとか、岡崎京子とか見たら奥が深いしさ、もっとシュールなもんいっぱい見てるし。金持ちのリップサービスしてるだけのアートを無理無理市民に「アート」や言うたって、若いやつけっこう賢いんだから。違うよね、と思って当然や。だから根付かないということは、みんながそれを受け付けてないということだから、日本人がアホとかいう問題ではない。だから「現代美術を理解しない日本人は」、と怒る人があるけど、まぁ怒る前に、客観的に見てみたら、つまんないからはびこらへん。
はまことり:
絶対おもしろかったらどんなものであっても食いついてくる。
椿:
それと、グローバリズムにとっては、日本というは不思議なものでね、独特なもん取り込んで、独特の解釈して、独特の色のウンコを出す生物やから、昔から。一筋縄でいかへんわけよ。
韓国なんかビジネスシーン、マーケットができてね。中国の中の現代美術、とか出て。日本がそんなもん文句言ったってはじまらない。
そういう非常にいびつな面をひきづったまま横トリがスタートしたのね。
はまことり:
2001年に。
椿:
それに比べてさ、やっぱり南北戦争と言われたけど、越後妻有は日本の風土の中で何するかって、明解やんか。完全にシステムとしては、あっちのほうが勝ってるよ。勝ち負けで言うのもおかしいけど。すっきり来るやん。やっぱりみんな感じてるから。
でも、そこでポイントはね、OTAKUっていうのは、ある種の社会性を欠落させるからこそ生まれてくるでしょ。そういうある種のいびつさっていうのを持っているから、あれはデファクトスタンダード(文中注:「事実上の標準」)にはならないですよ。そういうときに越後妻有みたいなやり方はヒントになると僕は思う。
オタッキー!!みたいな、ある種の閉じた世界でつっき抜けるってやり方がそれだけでいいのかというと、やっぱりこころもとない。
はまことり:
「越後妻有がいい」、というのは、やはり地域にあったものだから?
椿:
そうそうそう。自然の固有種にするために外タレ呼んで来て、無理やり「日本で生きろ」って。自然の固有種とするため、ぺこぺこしていない。
はまことり:
前回の横トリではメガウェイブと言って、パシフィコにみんな集めてバーッとやりました。
椿:
もう考え方自体がバブリーなんや!そういう意味では今度川俣さんだから、気合入って社会学的な側面の強いのやったらいいと思うな。だからお客入るとか入らないとか、そんなの度外視して(笑)。だから、もうバチバチに現代アートの原点というかな。
現代アートって、ほんとはいいものなんやで。ものを考えたり。人間というものが個人として社会に対して向き合うときとか、日本人が避けて通ってきたことが全部あるわけんやんか。目をふさいできたことが。それをやっぱりいつかは見なあかんものやから。
川俣さんは、コマーシャルアートとは別のところで生きてきた人や。だから期待はある。第三の道じゃないけれど、ある種のデファクトスタンダード。
で、川俣さんみたいなものがボーンとあって、それにOTAKUもパワーがあるとか、もう一つなにかあるとか、そやったらわかる。
だけど、コア、芯がないの。今までね。堂々たる、ある種の「保守・本流」。川俣さんは「保守・本流」や。
はまことり:
「保守・本流」?
椿:
自民党の中での右派みたいな。現代美術の中では。「バリバリの抵抗勢力」みたいな。そういうのやってほしいなと思う。
はまことり:
「サイトスペシフィック・インタラクション」とか「コラボレイティブワーク」とか川俣さんのコンセプトが今回の横トリのキーワードとして出ていますが。
椿:
まぁことばは横文字使うのは別にええんやけど。
要は、ね、そのあたりのある種のヨーロッパにきっちりあるスタンダードみたいなところ。市民のわからんハードコアな作品を公園に呼んできたりしたらええんやね。
はまことり:
街に出るアートはいくつかあるようですが。
椿:
でもうかつにやったら、リップサービスになるからね。
まぁ、街に出て行くのはかまわないけど、ただ単に市民にリップサービスで出て行くんじゃなくって、態度崩さずに出ていかな。「市民の方々」とか言わずにね。現代美術は擦り寄ったらあかん、ほんまは。・・・微妙な感じ。(笑)
■コラボレーションの面白さ
はまことり:
最初椿さんがあの「巨大バッタ」をつくろうと思った経緯を教えてください。
椿:
巨大というか、要するに最初から悪意だけしかなかった。悪意って、ある意味アート全体に対してね。アートフェアみたいだし、おかしいやん。
「中に入りたくなーい、やだよー、絶対こんな中でやらない」。という気分。
はまことり:
なんかいいですね。
椿:
ありがと。
そんで、その会場にかみついたれと言うことで、上からかみついてる。アンチグローバリズムで、ようするにそういうものに対してイナゴが食ってしまえということで、下向いて突っ込んでいるわけ。
はまことり:
バッタのプロジェクトは、実際のスタッフは、横国の生徒さんでしょうか。
椿:
もう足向けて寝られへん、一生お世話になったから、みんな。
そりゃー、だって途中でいろんなトラブルあって、風船つくってもらった業者がどっか行っちゃって、自分らでやらなくなっちゃって。横国の学生さんが全部組織作り直して、全部やったんや。業者来ぃへんし。で、室井さんと僕で腹くくって、最後まで逃げずに頑張ろうって。
も、それからは、もう、ホント涙モノの。大変な。本出すって室井さん言ってはるから、そこに全部出るでしょ。
いつの間にか学生のほうが僕らよりずっと立派になって、僕らなんかが「はいはい」、「ダメですよ、それじゃ」、「はい、わかりました」。すごい面白かった。
はまことり:
最初のバッタを作るきっかけ、河本さんという京都近代美術館の方が、椿さんと室井さんを引き合わせたというお話をネットで読んだのですが。
椿:
河本さん引き合わせたはったときは、情報哲学っていう話だから、コンピューターつくったり、ネットワークを使った仕事を帝蚕倉庫のとこで提案したら、そしたら室井さんが怒るやん。ランドマークにキングコングをつけるんだって言い始めて。
それは僕にとってすごいショックだった。それがなかったら、全然違う方向行ってた。野生の知というか、原始的なものというか、僕の身体にあるものを眠り覚ましてくれた。
僕はすごく感謝してる。あれがなかったら今ごろメディアアーティストになって秋葉原さまよってたかも(笑)
はまことり:
もともと帝蚕倉庫を考えていらっしゃったんですか?
椿:
僕は帝蚕倉庫は大好きやったんよ。
なんかあの、植物が巻きついてさ、すごいマージナルな空間。あそこには霊がいると思う。やばいもんが潜んでいる。そういうの好きやん。
けどいろんな経過で、グローバリズムにはグローバリズムで対抗するという、力には力を、という、あの、目には目を、という室井さんの方法になって。(笑)
だから、やっぱ、コラボレーションの面白さやねん。すごい楽しかった、今となっては。
はまことり:
帝蚕倉庫には再開発の話が出ているようですが。
椿:
川俣さんがんばれ!みんな廃墟にしろ!横浜を廃墟しろ!
はまことり:
それはどういう意味で?
椿:
いえいえ、というかさ、ある種廃墟じゃん、川俣さんの仕事。「under construction(アンダーコンストラクション)」というか、ある種の中間状態で、「再開発」の発想とはまったく正反対。そういうものが今の日本のある種の浄化財になって欲しい。
今ラディカルダイヤローグって、パレスチナの壁に書くプロジェクトやってるけど、ウエブサイトにいっぱいアクセスきてるし。この間イスラエルから抗議のメールきたし。リアリティバリバリ。お返事早く書かなあかん。「お前はパレスチナ側しか見てない。」、「この壁のおかげでテロの防御になるんや」って。すごいリアル。
バッタというのは象徴的にああなんだけど、システムがパブリックアートになってる。600人ぐらいの人が寄付してくれたり。借金回収のため芸能として全国行脚するとか、新しいパブリックアートのエンジンって何だろうと考えてね。
よくあるパブリックアートってもの自体は旧世代の悪だからね〜。今は。
はまことり:
なくてもいいような。
椿:
なくてもいいというか、どちらかというと消さなあかんでしょ。見かけバッタも一緒やから危ない危ない。同じ形式は踏襲しても中身空気でやったり。布地を全部かばんにしようと思ってた。
はまことり:
かばんですか?
椿:
全部。布地をかばんにする。そうすると、リユースで、まったくゴミが出ない。ゼロエミッションなんや。 それと、あの作品自体を市民全員の献金で支えたいとほんとは思ってた。権力者側ではなくて、自分たちのものになる。
形式ああいうかたちを踏んでながら、システム自体はクールにつくってある。現代社会の中に適用する、非常にドライなもの。そのあたりはなかなか見えにくいけど、バックグラウンドとかね。気づく人は、気づいてほしい。
ある種日本のデモクラシー状態のいびつさみたいなものを、あれに凝縮させたかった。だから見てかわいいことが必須。
はまことり:
みんな覚えてる。
椿:
そりゃみんな憶えていると思うな。バッタだもん。
そういう部分と、非常に肉体的に大変な作業。それらが結構高いレベルで集まってたから面白かった。
はまことり:
市民の600人ぐらいの寄付、ということですが、それはどういうふうにプロモーションしたのですか?
椿:
みんなで声かけて。新聞やウェブサイト。友人知人手当たり次第(笑)
小学校4年生の子が、「何か買うお金をバッタちゃんのために寄付します」と言って、室井さん号泣してた。おいおい泣いてた。「俺は絶対に上げるぞ」って、長淵剛みたいになって。
はまことり:
具体的にどういうふうに告知を?
椿:
ウェブでずっと募集していたし、口コミもあったし。で、その仕組みも考えて。バッタのビニルのグッズがついたり。バッタのとも生地がついてきたり。生地と、ちょっとしたポストカードとピンバッチ。それを買ってもらう。ただ寄付とか言っても誰も出さないから、
それの限定何個、みたいな。色も変わるんだ。一万円以上出したらゴールドになるんだ。
はまことり:
それすごいですね。
椿:
細かいケア。それでみんなが買ってくれて、バッタ上がるたび背中につけてお父さんと子どもが来てくれるとか。
■わかりやすいことばで伝える
椿:
金沢でもすごく反響が大きくて。金沢の美術館オープンする前に、バッタひっぱって、金沢市内の小学校をまわって。それを新聞が取り上げてくれて、金沢のランニングがすごくうまくいって65万人とか来てる。
はままことり:
しかも子どもがすごく来ている、という話を伺ったことがあるような気がします。
椿:
そうそう、だから今までの美術館という壁を越えられた。それは権威主義とか、アートは大変なものやから、なんでお前ら理解できへんねんって、上から評論家みたいなえらそうな立場からもの言うんではなくて、下から下から、エデュケーションしていった成果。
Jリーグもそやけど、ちっちゃいころから育てなあかんよ。教育のレベルでちゃんと「アートってなぁに」って。ちゃんと教えていって、育てていって。僕エデュケーターだから。
それが徐々に育っていくと、全体が大きくなる。その子がお母さんになったら、リピーターで子どもも美術館通う。
そういう地味な努力を誰もしなかった。
他の業界は、みんな努力してきたから、その世界ができてるんよ。マンガ家も必死で書いたし。みんなどの業界でも、建築でもマンションでも、血みどろでがんばった。それを、美術館はしてこなかった。金沢は、水戸もそうだけどやろうとしていて。
だからそれは、なんかこう、人気のあるものそのままもっていくという安直なものとは違う。金沢そんなもんしてない。もっと地味に、こつこつやっていく。ちゃんとアートとしてできたものを見せる。今、人の来そうなもんやればいいという、あれは結果的に美術館の首しめるよ。
だから何がやらなきゃいけないかをきっちり標準あわせながら、まじめにやらないと。それは評価を受けていくと思う。TAP(文中注:「取手アートプロジェクト」)の炭焼きは(笑)市長さんや地元のシルバーの人とか理解してもらえたしね。
だから逆にこれから日本のアートの可能性あるのは、シルバーの人とか、リタイアする人大量にいるでしょ、ああいう人たちが、日本型のアートを復活させるということはすごい必要と思う。彼らは技能もあって、能力も高くて、才能もあるから、
川俣さん的なアートだったら理解すると思う、持っていき方によっては。ワークインプログレスとか。そういうことに対して非常に理解しますよ。
僕は、結構現実の方から入っている。まず現場から。現場から入って、市長とか、忍者とか、居合いの先生とか、ベタなところから、引き上げようとする。そっから目覚めて、アートの勉強はじめていって、そんな形の展開が僕はあると思う。
はまことり:
前回横トリに行って、すごい子どもが多いな、っていう印象があります。会場の作品みてキャピキャピしている。そういうのってアニメキャラクター見てキャピキャピするのと一緒だと思います。子どもに「アートをそのまま見せる」ってことは大切かと思います。
椿:
サッカーも同じやけどアートというのは国際社会の共通言語の一種やと思う。共通言語。
誰も英語を「けっ」と言わないでしょ。多国籍の人間が集まるなかでコミュニケーションとろうとしたら、片言でも英語でしゃべらなければならない。そういう努力をしようという心根と同じかもしれないね・・ある程度努力とか勉強は必要だね。
だからこれは自然にほっといても学べない。ドキュメンテーションとか、要するにメイキング。なぜバウハウスはこうなったのか。理由をちゃんと言ってあげなきゃ。背景を。ゴッホがテオとの間にどういうコミュニケーションがあったのか。
絵って本能的に描いてるだけじゃないんだ。何か「思い」があるから描いてる。言語とかいうとややこしくなるから嫌いなんやけど、「思い」っていうことでいいと思う。思いがあって、その方法として、その手段として表現がある。
だけど、日本の場合表現が先に出すぎてね・・。
はまことり:
日本は外に現れるものから。
椿:
表層から入っちゃう。それで「思い」が欠落する。
だけど「思い」があって、「思い」をかたちにしていくということが、一つあってもいいと思う。そういうやり方勉強してもいいと思う。それをね、わかりやすいことばで伝えてあげる人が少なすぎるということ。
はまことり:
子どもにも伝えられるようにことばを選んだり、発信する側が難しいことばを使ってしまっているとか?
■思いを大事にする
椿:
だから電車の事故のときもそうでしょ。職員は非常に優秀で、頭いいかもしれないけど、組織にひたっているとね・・、あれって軍隊と同じやと僕は思った。
そういう状況に置かれたら、人間って変わっていってしまう。人間って一定じゃない。だれでも殺人鬼になれるし。僕はオプティミストじゃないからね・・。
家帰っている途中だったらああ言ったことはない。通勤途中だから、前で大事故おこってるのに平気で会社行っちゃう。横通りながら。誰にもありえないけど、ありえないけど、そういうことが人間に起こる。組織とかシステムの中で発生してしまうから。組織の中で人間がいかに変質するか。常に自覚的である、そのためにはね、自らの思いを常に確認する作業が必要。今私は何を思っているのかってね。
普通に生活してたら「思い」はややこしいから、無自覚になりがちなんよ。それを定点観測じゃないけどいつもやり続けるっていうこと。実はそれが現代美術の根っこなんだよ。
ようするに、見かけだけでやるんじゃない、ということ。そりゃ見かけから入ったって素養があればそっち行くけど、もっと一般化するためにこそ教育がある。幼稚園や小学校の段階から「君の思いはなぁに」って聞いてあげるとか、一貫性持たさないと。でたらめに国民をスーパーサイズミーみたいな状態で育てておいて、急にアーティストになるときになっていきなり言語化しなさい、とか言うのではなくて。
はまことり:
電車の例でいうと、事故現場を素通りして会社に向かったというのは、個人として向き合うことをしなかったから?
椿:
個人の判断っていうのは、組織であっても、エマージェンシーのときにはリリースのスイッチがポンと入るはずなんや。ところが日本人というのは、常に上司に任せてるとか、結局自分で自己判断して行動することを放棄する人がいっぱいいる。それが今回の典型的な例。どこかぼんやりとしてても、いざとなったらぱっとスイッチ入れなあかん。危機意識っていうかさ。
はまことり:
自分で考えて、そういう思い、考えているものをかたちにするのがアートという。
椿:
教室なんかでもぱっと聞くわけ。「はい、意見は?」って。そうするとみんなボーッとするわけ。「いや、今ちょっと聞いてませんでした」って。みんなお休みしすぎ。常に臨戦態勢じゃないけど、かかとに体重かかってる。人生つま先に体重かけてない。誰かがやってくれると思って甘えて休んでいる。そやからダッシュするとき、ぱっと前傾できなくて。そりゃ遅れるよ。そういうことを、みんな考えてかないと。
あ〜これは結構有名な本(『行動主義―レム・コールハースドキュメント』著:瀧口範子 TOTO出版)。僕がいちばん好きな人。面白いよ。すぐ読める簡単な本。
彼もともと建築家じゃないから。編集者やから。建築というのを編集と考えて捉えなおしてる。「錯乱のニューヨーク」で一気に時代の寵児になった。
この本読むと、頭がすっきりするよ。すっきりするというか、「こういう人間がいるんだ」という感じするし。彼の行動パターンみたら、日本のエグゼクティブ目からうろこになるでしょ。ちょっと偉いさんになって秘書まかせ。クオリティ管理って、そういうことじゃない。「自分の時間どう管理するか」クールハスは全部自分でやってる。
はまことり:
最後に時間も迫っているので、横浜トリエンナーレ2005に期待することをお伺いしたく思います。
椿:
横トリは、とにかく人々の「思い」、、ひとりずつの「思い」をどうかたちにしていくか。そのプロセスを川俣さんに期待したい。ぜひプロセスをちゃんと明示化して、どんな作品もね。解じゃなくアートの途中式を開示してほしいですね。プロセスの明示技術を国民が理解して、市民が理解して、自分たちの生活の中で検証していく。アートを今までどおりの解を見せるという考えから、豊かなプロセスの道筋を示す方向へ・・。
はまことり:
「開示」というと、具体的には?
椿:
室井さんのバッタ本に出てくると思うけど、いちばん協力してくれたのは横浜市のお役人さん。彼と最初衝突してたけど、「実は現代美術というのはプロセスなんだ」って話をしたら急に態度が変わって。「そうか、プロセスなのか!」(笑)。
ほんと全員にプロセスがある。みんな共有しているわけ。できあがったものだけを、これはリッパなもんだからあがめなさいって出すからカチンとくる。
ものつくっていくの基本的に「プロジェクトX」なんだから、ビジネスマンのおじさんと共通点があるはず。それを隠してさ、そういうのを見せるのはかっこ悪いとか言って。
そうじゃなくて、その過程にアートの、中には魅力的なものとか、発見とかリサーチのおもしろさがあるわけよ、ストラクチャーとして。
川俣さんが形態として見せたりしてることを、もっとことばでわかりやすくみんなに説明してあげてほしい。「プロセスってなぁに?」。「思い」を大事にする。言語とか言わずに。まず「思い」からはじまる。
みんな自らのプロセスに気づいて、ちょっとしんどいけど、会社で疲れてるけど、その疲れをそういうことで癒すのではなくて、自らの思いを確認したり、自らをいやすための努力するとか、そういうことを積み上げるための装置をちゃんと用意してあげてほしい、気づくための。
「アートというのはそういうことをずっと実はやってきたんですよ」、みたいな。
それを子どもが教育の中で積み重ねてきたから、ヨーロッパでは大人になっても美術館に行くし。自然にね、自らを高めるために。新しいものが見えたりするから。
『サウンド・エデュケーション』(著:R.マリー シェーファー 春秋社)ってすごいいい本があるけど、からだの音に関しても自分の意識化する、言語化するだけでもあれだけ違う。そういう部分は、ただ単に面白かったというだけではなくて、アートの重要な機能だと思う。
バッタをきっかけにそういう話もできるし、「そんなこと考えてやってはったんですね」って、それは見た人にとっての新しい発見や喜びになるやん。それって素敵なことでしょ。
だからそういう意味ではこの世界に失望していない。ただ、アマゾンに圧倒的に本が少ないとか(笑)。書き手がそういう努力してこなかった業界なんだなーって。
(インタビュー終わり)
投稿者 澤田mito : May 30, 2005 12:21 AM
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comments(1)
AMAZONで現代美術を検索すると、条件を詳細サーチでタイトル指定しても、258件ヒットするのだけど。。。
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