横浜トリエンナーレ2005キュレーター芹沢高志さんインタビュー
僕にとっての展覧会とは「場」と関わり、観客を「旅」へいざなうこと
■横浜トリエンナーレ以前のことについて
はまことり(以下H):過去、芹沢さんが開催された展覧会の中で、特に芹沢さんのキュレーションを特徴付ける展覧会と、そこで果たされた役割について教えてください。
芹沢さん(以下S):やはりデメーテルでしょうね。正式名称は、とかち国際現代アート展「デメーテル」。2002年に開催された展覧会です。「デメーテル」のときは、今、川俣さんが横浜トリエンナーレでやっているような総合ディレクターの役割を引き受けました。あとで横浜トリエンナーレのことを話すとき、どうしても触れると思うから先に言っちゃうと、ぼくは基本的に横浜トリエンナーレのように100人くらいの規模の大規模展というのはどうもしっくりこない。自分の体質にあってないと思っています。
ぼくは現代アートの一番の面白さって、つくっている人が自分たちと同じ時代を生きていることだと思っている。いくらすごくても、ゴッホとかルノアールとは、たとえば9.11のことを話せないじゃない。でもこの面白さ,まだ、みんなで共有するのが、なかなかうまくいかないですね。
H:なかなかうまくいかない理由をどのように考えておられますか?
S:この面白さを共有していくためには、みんながそれぞれ、自分の体験したことをあとからきちんと振り返ってみる必要があると思う。なんでもそうだけど、走っている最中に、今,起こっていることの意味を感じ取るのは難しいことですよ。現代アートもそう。まさに同じ時代を一緒に走っているわけだから,つくっている方も観る方も,よくわかってないことが多い。逆に言えば,わかっちゃって走っているなら、とくに面白くもないわけです。意味というのは,いつも「あとから」やってくるものですよ。振り返ってみて、ああ,そうだったのかと意味がわかる。その今,わかった意味も,またあとから振り返れば,違ったものに変っているかもしれない。
現代アートは,特にその側面が強いと思います。今はよくわからなくても,あとから,あー,と思うことがよくある。アーティストも,ぼくと同じ空気を吸っている、同じ時代を生きている人たちの表現活動なんです。しかも大部分のアーティストは、頼まれもしないのに、なんでこんな馬鹿なことを?というようなことを敢えてやっていくわけですね。一緒にやっていると、なぜそんな苦労をしてまで彼らはそんなことをやっていくんだろうと考えて、そこから自分でも気づかなかった共通の問題意識を発見することもある。また、アーティストは極端だから、普段の日常では気づかなかった問題を違う角度から気づかせてくれることもありますしね。
そういう観点からすると、自分と一緒に生きている生身の人間を相手にするわけだから、キュレーターとかディレクターといっても一人の人間だし、きちんとつきあえる限界がある。相手も今を生きる個人であり,キュレーターやディレクターも個人です。一度に100人もの人間といっしょにどっぷりやっていこうとしても無理があるわけですよ。
言い方によると批判的に聞こえるかもしれないけど、横浜トリエンナーレや越後妻有のトリエンナーレでも,ひとりの担当者が抱えるアーティストの数は多すぎると思う。
こういう考え方を持っているので、デメーテルのときは、ちょっと無謀だったけど、思い切って10作家にしてみたんです。
H:確かに、デメーテルのウェブサイトを拝見して、作家の方が少ないという印象を受けました。
S:展開する場所は今回の横浜トリエンナーレとは比較にならないほどの広さの20ヘクタール。帯広の競馬場を使ったのです。競馬場といっても、馬が走るレーストラックではなくて、バックヤードにある、馬を飼っておく厩舎エリア。そこが実に魅力的な場所で,昔の帯広の風景を保っている感じがしたから、そこを使ったのです。
競馬場厩舎地区は、今回の横浜トリエンナーレの山下埠頭倉庫と同じで、普段は社会から切り離されて、一般人が入れない場所なのね。それを現代アートの力によって「場所を開く」。デメーテルの場合は特にその意味が強かった。十勝にとって、馬は開拓を象徴しています。十勝の成立の仕方が、アメリカやカナダに似ている。アイヌという先住民との関係を考えても,開拓は複雑な歴史だ。そしてその開拓の歴史には馬がすごく関わってきたわけだし、実際にそこに残っている風景は、社会と隔離されていたがゆえに、昔の帯広が残っている。このランドスケープは、ある種,記憶の保管庫なんですよ。実に魅力的な場所だった。一般の人は現代アートの展覧会と言っても興味を示しにくいですよね。だから現代アートから入ってもらうのではなく、まず風景から入ってもらって、風景を再発見してもらう。服地の地と柄という言い方があるじゃない。風景が地。とってもいい地を持っているのだけど、普段あまりに見慣れていて,そのすごさに気づかない。なので、そこにすごく珍しい柄、現代アートの作品をぽつんぽつんと置くことで、地そのものを強調する。地と柄の関係というイメージで、デメーテルは設計しようと思いました。
最終的にどうしたかというと、広大な風景のなかに作品を点在させ、観客は地図をもって会場を回っていくようにしました。次から次へと現代アートを探して旅をして、また戻ってくる、そんな「非日常的な旅」。ありがたいことに、ちょうど同じ頃、「千と千尋の神隠し」が上映中だったのでよく例に使いました。千尋の世界の方が現実だけど、彼女はトンネルをくぐって別な世界に入ってしまい、不条理なことに次から次へと遭遇していく。それを現代アートになぞらえて、「普段はこんなことありえない」状況と、観客が次々遭遇していくように作品を配置していきました。
千尋は旅をしていくなかで、今まで自分がこうだろうと思っていたことが成立しなくなって、試練や苦痛を乗り越えていく。そして,人として成長していく。彼女は降りかかる不条理に対して「わからない」と逃げ出すのではなく,精一杯それと向かい合う。ユリシーズやオデッセイア、ロード・オブ・リングも、すべて旅の物語です。物理的な意味での旅であるとともに,精神の旅でもある。デメーテルの場合、次々とアートを探して帰ってくる、ひとつの「旅」にしたいと考えたんです。
H:いろいろ過去の展覧会などを拝見したり、今のお話をお聞きして、芹沢さんは、キュレーターというよりは、川俣さん的な「つくる」要素を持っていると感じたのですが、その辺についてはどう思われますか?
S:ありがとうございます。(笑)ぼくや山野さんの場合,どうもキュレーターという肩書きが居心地悪いんです。自分はキュレーターじゃないという自負もあるし、アートを専門的に学んできたわけでもないのにキュレーターと名乗っていいのか、申し訳ない、という恥ずかしさもある。
今振り返って自分の仕事が何に近いかっていうと、映画のプロデューサーに似てる部分があるなって思います。
キュレーターというと、あるものを選んでくるケースが多いですよね。しかしそうではなくて、最初にアーティストからプランが出てきたら、ここはちょっとこういう風にしたほうがいいんじゃないのかとか、予算のことも頭に入れながら、対話をしていきます。それでアーティストのほうも納得してくれたら、作品をつくっていく。ぼくのはそういうやり方なのね。
映画の場合、気に入った原作があって、これを誰に撮ってもらおうかというところから始まる場合もあれば,とにかくこの監督と一緒に仕事がしたいというところから始まる場合もあるだろうけど、要するに自分たちの映画をつくって欲しい監督候補と徹底的に話し合うところから始まるわけです。で、これなら、と、両者がピンときたら,そこからプロジェクトが始まる。アーティストには作品づくりに没頭してもらい,ぼくらはプロデュース側に立つことになる。だけど、一番始めのところは未分化な状態で対話を続けていく。まあ,その意味で,「選ぶ」というよりは「つくる」という感じなんでしょうね。
P3では、一人のアーティストと仕事をすることがほとんどなんですよ。キュレーター的な考え、今これこれのテーマが美術史の流れの中で重要だから、この作品とこの作品とこの作品を選びますというようなやり方はとらない。「こいつと何かしようぜ」というノリで選ぶわけです。だからね、今回のような大きな国際展は、ちょっと自分のスタイルではない気がするんです。
デメーテルのときは、総合ディレクターだったから、最初にあった枠組みを全部変えるところから始めようと思いました。構想では,ごく普通の展覧会だったんですよ。でも、敷かれたレールを変えるのは大変で、1年かかりましたね。それに比べたら、オープニング前夜に台風がきて大変なことになったことも、大した問題じゃなかった。(笑)
■今回の横浜トリエンナーレについて
H:今までお聞かせいただいたお話を踏まえ、今回の横浜トリエンナーレにおいて芹沢さんは個人的にはどうなったら成功と思われますか?
S:100人近いアーティストとはいつものようには深くは関わりあえないけれど、自分が担当していく作家とはなるべくいつものようなやり方で密にやっていきたいですね。
だけど、気をつけなければならないことは、横浜トリエンナーレというのはぼく個人が全体をディレクションするのではないということだけでなく、川俣さんも含め,自分たちのカラーだけで勝手に創り上げていけるようなクラスではないんです。もちろん,出来上がったものは自分たちのカラー以外の何ものでもないのだろうけど,それでもひとりでやっているのとは比べ物にならないほど,考慮しなければならないことが多い。一人芝居をしているステージではないんです。
そういう意味で、僕なりの成功の基準は、どこまで社会を巻き込んだかということかな。巻き込みがうまくいけば、僕にとっての横浜トリエンナーレ2005というのは意味があります。限られた現代アートの専門家に評価されるのではなく,だからといって社会に迎合するわけでもなく,その上で,これまで現代アートに疎遠だった人々にもよろこびや驚きを与えられるなら,それこそが満足のいく成功です。
H:横浜トリエンナーレにおいては、芹沢さんの個人的なカラーを押し通すのではなく、どれだけ社会を巻き込んでいくかを特に主眼とするということですね。
S:そうです。市民本位の国際展を動かしていくには、いろんなことをやっていかねばならないし、キュレーター業務を逸脱する、雑用といってしまえば雑用とも言えることも数多い。正直に言えば,自分として,あまりやりたくないこともたくさんあります。でも,今回は割り切った。
H:出展作家は誰がどのように選ぶんですか?
S:天野さんがアジア以外のすべて、山野さんがアジア、ぼくがその他のよくわからないところを担当します。(笑)。とはいっても、担当というのは最終的に決めることで,作家を選ぶ際は、川俣さんを含めた4人のキュレーターチームの合議で決めていくわけです。
今回の場合は、川俣さんがビジョンを出して、キュレーターはそのビジョンを実現させるのがミッションと割り切っているから、キュレーター間の関係は珍しいほどとげとげしなかったですね。川俣さんがやろうといったら実現させる。よっぽど首をかしげる場合は、やめてもらったけどね。(笑) 川俣さんがフィルターの役割を見事に果たしています。
■横浜トリエンナーレ以降について
H:今後芹沢さんご自身が横浜トリエンナーレ以降に開催していく展覧会の展望や、やってみたいことを教えてください。
S:今までぼくがP3でやってきたスタイルを、そのままやっていくんでしょうね。そして、やはり「旅」が重要なテーマになる。組織が巨大化して、動きが鈍化していくのもいろいろ見てきたから、一つ一つの仕事をプロジェクトと考えて、必要に応じてチームをつくり,身軽に旅ができる機動的な形態でやっていきたいと思っています。
話は元に戻るんですが、そこも映画づくりに似ているな、と思うんですね。フランソワ・トリュフォーが監督した「アメリカの夜」という映画があります。夜のシーンを撮らなければならないとき、昼のシーンを夜に変えてしまうやり方があって,それをアメリカ式夜というらしいけど、つまりこのタイトルは映画の世界のことですね。監督自身も監督役を演じてたけど、これは映画ができる過程を描いた映画でした。ロケが始まっても,まあ,いろんなすったもんだが起こり続ける。妊娠を隠していた女優のおなかが途中で大きくなってシナリオを書き換えることになったり,俳優同士ができちゃったり,まあ,とにかくいろいろあるわけですよ。でも、次々と起こる予期せぬ事態を乗り越えて,なんとか映画を撮り終わる。するとチームは解散し,ひとり,またひとりと現場を去っていく。P3が組織するプロジェクトチームもそんなもんで,この辺が映画づくりに似てるなあと思うんです。
H:芹沢さんは元々建築畑のご出身ということですが、建築家ご出身だったのが、かえってよかったようにお見受けしましたが。
S:良かったと思いますよ。でもね、ぼくは、元々数学やっていたんです。数学から建築に移り、都市・地域計画に従事しているなか,たまたま、ある建築計画に関連して、アートに関わることになった。ぼくの人生は事故の連続みたいなものですよ。今回の横浜トリエンナーレも、川俣さんに誘われて「ほんとかよー!!!」という感じだけど、(笑)「また面倒に巻き込まれて」と思うか、「どうせなら楽しんでやるか」と思うか,それは考え方次第でね。
H:最後に、ご家族は芹沢さんのお仕事に関してどういった感想をお持ちですか?
S:子供はいないのですが,母親は健在で,ときどきぼくの仕事を見に来てくれますが、まあ,息子がやっているという一点だけでほめてくれる。(笑)
H:奥様のほうは?
S:「あたしは奥さんじゃないから感想なし!」という返事でした(笑)。補足すると、奥さんじゃないというのは,横浜に行ったまま帰ってこない夫の現状と、同じP3の経理スタッフであるということから。でも、「うれしいに決まってるじゃないの」とも言ってくれましたが。
H:それは、なんとも素敵なコメントですね。(笑)今日は本当にお忙しいなか、お時間割いていただいて、ありがとうございました。
(はまことりの感想)
このインタビューをさせていただいた頃、芹沢さんは横浜トリエンナーレ開催期直前で疾風のように様々なところを飛び回っておられるご様子でした。こんな時期に申し訳ないなぁと恐縮する私たちはまことりに、芹沢さんは、ゆっくり言葉をかみ締めながら、暖かくいろんなことを答えてくださいました。先日ZAIMでお見かけした際、お元気そうな芹沢さんを見て、思わず「横浜トリエンナーレは私にとって旅でした!!!」駆け寄って熱く語ってしまいました。芹沢さんのおっしゃっていた「旅」という言葉が本当に胸に染み渡るような今回の横浜トリエンナーレ。このインタビューを読んで、足を運んでみてはいかがでしょう。今までとは少し風景が違って見えるかも。(はまことり/かねこきよこ)
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芹沢高志
1951年 東京生まれ。
1989年、P3 art and environmentを設立。以後、現代美術、環境計画を中心に、数多くのプロジェクトを国際的に展開している。帯広競馬場で開かれた国際現代アート展「デメーテル」の総合ディレクター(2002)。アサヒ・アート・フェスティバル実行委員(2002-06)。慶応大学理工学部非常勤講師(建築論)。著書に「この惑星を遊動する」(岩波書店)、「月面からの眺め」(毎日新聞社)、訳書にバックミンスター・フラー「宇宙船地球号操縦マニュアル」(ちくま学芸文庫)、ケネス・ブラウワー「宇宙船とカヌー」(ちくま文庫)など。
投稿者 かねこきよこ : November 24, 2005 06:14 AM
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