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December 26, 2007

「ドクメンタ12」キュレーター、ルート・ノアック氏講演会:「ドクメンタ12を振り返って」

2007年12月5日に、六本木の国立新美術館で開催された「ドクメンタ12」のキュレーター、ルート・ノアック氏の講演会「ドクメンタ12を振り返って」に出席してきた。今回のドクメンタについて美術関係者の間でも、評価は賛否両論大きく分かれているが、以下に簡単に講演内容を紹介する。

ドクメンタの目指していることは、世界各国の優れた美術作品を隙間なく集めるということでも、また世界で最も優れたアーティストを集めることでもない。そうではなく、ドクメンタ12ではひとつの体験の空間を作るということが目的だ。いわゆる美術界、芸術界というものは、ドクメンタにとってほとんど意味がない。なぜなら、ドクメンタにくるお客さんの大部分はドクメンタ以外の現代美術の展覧会には足を運ばない人たち、いわば素人だからだ。
今回、ドクメンタ12でテーマとなった3つの問いかけは、「我々にとって近代は古典か?」、「むき出しの生とは何か?」、「そして何をなすべきか?」です。これらは、非常に重要かつ曖昧な問いかけです。これらのテーマを実現するために、二つのアプローチを試みた。
まずは、グローバルな美術雑誌のネットワークを構築することを始めた。すなわち、世界各国で出版されている美術雑誌とネットワークを組み、それぞれがローカルな視点からこの3つのテーマについてとりあげて記事を作成していった。そして、その結果を今度はトランスローカルなディスカッションでお互いにシェアしあうという方法です。こうして実際に展覧会が始まる前に、この3つの問いかけに対して活発な議論が行われた。そして展覧会が始まると、世界各国の編集者たちがカッセルに招かれ、今度はカッセルにおいてこの3つのテーマについて議論し、あるいは様々なレクチャーをしたりして、このプロジェクトは続いた。そして、このプロジェクトから、この美術展のための勉強材料として3冊のドクメンタ・マガジンがまとめられ、一般来場者に提供された。
我々は、2007年のドクメンタに際して、ドクメンタUFOがここに一時的に着地するようなやり方だけは避けようと考えた。まるで、一時的に着地したUFOに対して、町が住むところと食べるところを用意するようなやり方は間違っている。
そこで、持続性というものを重視して、ドクメンタ12のための審議会を立ち上げた。この審議会にはカッセル市民50人が2年間参加し、先ほどの3つの問いかけなどについて議論して、ドクメンタがカッセルという市にしっかりと根ざすということを目指した。この審議会のメンバーはいろいろな要求を出してくれ、それは実際、展覧会の開催に生かされた。審議会のメンバー自身による自主的な活動も行われた。たとえば審議会がいつも会合を開いていた郊外にあるカルチャーセンターで、審議会のメンバーがこの地域にとって大切だと考える作品を選んで展覧会を開催した。この展覧会は入場が無料で、いままでドクメンタに足を運んだことがないような近隣の人たちまでもが足を運んでくれた。
芸術というものは、私たちが世界に完全に取り込まれるのでなく、自分達がこの世界の一部だということを見せてくれるものである。美術作品と私たちの間には常に距離、すなわち空白がある。そして通常わたしたちは、その距離というものをどうにかして克服しようする。しかし、専門家ですらこれらの作品に対峙する知識を充分持ってはいない。だからこそ、作品を体験することが重要なのだ。説明パネルは、欠けている知識を補ってはくれない。
アーティストは皆、特殊な知識とかノウハウを身につけた専門家である。それは一般的なものでなく、多くの人にとっては解読できないものであったりする。ここに空白があるということは、そこにどんな意見を持ってきても良いという意味ではない。空白というものは、そこに何らかの境界線があるということを意識することなのだ。その境界を乗り越える時に、素人の持っている境界と、専門家がもっている境界とではそう違わないということが、今回のドクメンタで分かった。しばしば素人の方が境界を乗り越えるのが上手かったりする。そして、こうした空白を埋める、あるいは乗り越えるためには、ドクメンタではいろいろなプログラムを用意した。
そして、なるべく多くの人が集まって意見交換をするために、会場に椅子をたくさん用意した。椅子があると、そこに人が集まってディスカッションが始まる。いずれにしろ、今回のドクメンタに足を運んだカッセル市民の数は過去最高だった。この来場してくれた人たちが空白を容易に埋めることが出来たのは、多くの作品を見てそれらの間の関係を見いだせ、多くの体験を積み重ねた結果なのかもしれない。

今回、ドクメンタ12では、テーマとなった3つの問いかけについて、世界各地で発行されている美術雑誌と連携し、地域性を持った記事を編集して、さらにその記事を抜粋し、再編集したドクメンタ・マガジンが発行された。この、トランスローカルなグローバルネットワークを構築しようという試みは大変興味深い。
また、カッセルの市民による審議会を立ち上げ、彼らに計画・実施の相当部分を任せ、自発的に関わってもらい、その結果、ドクメンタ12を訪れたカッセル市民の数は、前回の2倍になったとのことだ。これら、ドクメンタ・マガジンや審議会は、展覧会終了後も活動を続けており、今後の持続の可能性が期待される。
また、私は、ある言語を知らなければその言語で書かれたものを読むことが出来ないように、美術作品の理解には基礎知識が必須のものと思っていた。一般に、現代美術は難解なものと思われがちな理由も、ここにあると思っていた。しかし、ノアック氏は、我々と美術作品との間にある知の空白の存在を認めたうえで、この知の空白は専門家よりも素人のほうが、やすやすと乗り越えることが出来ることを指摘している。このことは、ドクメンタ12で無名の作家が数多く起用された事とも関係があると考えられ、大変示唆に富む指摘だと思った。

(文責:岩田稔夫)


投稿者 takahashi : December 26, 2007 11:57 PM

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