第12回ZAIMサポーターズスクール 川俣正レクチャー「展覧会とアーカイブ」報告
去る2月10日、ZAIM本館3Fのシアターで川俣正氏による「展覧会とアーカイブ」のレクチャーが行われた。これは、2006年から始まった「ZAIMサポーターズスクール」の第12回目にあたる。そもそも、「サポーターズスクール」は、「横浜トリエンナーレ2005」のときに川俣氏が始めた「トリエンナーレ学校」を継承する意図で始められたものであり、今回のレクチャーは、「2005から2008へ」のサポーター活動の発展的継承のために、よい機会となったと思う。
この日は、東京都現代美術館で前日(2月9日)から「通路」展が始まったばかりというタイミングであったが、オープン直後の非常に忙しい中をZAIMに駆けつけてくれた川俣氏は、「通路展」とアーカイブについて、いろいろな例をひきながら、たっぷりと語ってくれた。以下、当日のレクチャーで話された盛りだくさんの話題の中から一部を抜き出してお伝えしたい。
レクチャーの初めに、主として野外にインスタレーションをつくる川俣氏にとって、つくったものがそのままのかたちで永久に残ることはないのだから、何かをつくることと何かを記録として残すことは「同じこと」だという考え方が示された。これは、つくることと記録に残すことが同じくらい重要だ、ということでもあるのだろうが、それだけではなく、つくることと記録に残すことがつねに同時に進行していくものだ、ということでもあるのだろう。
作家としての活動を実践的に組み立てることを考える立場に立てば、仮に作品が残らないプロジェクトであっても、資料的なものが残されていれば、それが次の仕事を生んでいく、ということも重要な要素である。川俣氏の30年の歩みこそがそのことを示す最もよい実例であり、「通路展」は、そのことを物語っている展覧会でもある。
今回のレクチャーの中で、川俣氏は、「展覧会とは、人の流れをつくることだ」という言い方をしていた。川俣氏にとって、展覧会とは、人をどうやってそこに招き入れるのか、と考えていくものなのだという。あるいは、「人が作品展を見に来る状況を作り出す」(のが大事だ)という言い方もしていた。つまり、誰にとっても、それが自分にとって関わりのあることだ、と思えるような仕方でプロジェクトや作品を形にしたいし、それがそのまま展覧会になっているような展覧会がよい、ということなのだろう。
それが、「川俣正は通路だった」ということなのだと思う。(これは、都現美で行われた川俣氏と村田真氏とのトークセッションのタイトルでもあった。)
最初に、始まったばかりの「通路展」についてのエピソードがいくつか披露された。
前日(8日)の内覧会&レセプションには何と1000人もの人たちが来場したという。また、展覧会の準備のために、正月明け早々の4日から作業を始めたとのことだが、1000枚のベニヤ板のパネル(大きさは4尺×8尺なので、かなり大きい)を展覧会場に配置して、それに土嚢を約2000個積んでパネルを固定するという作業に大勢のボランティアが必要だったので募集をかけたところ、60人ものボランティアの人たちが参加してくれたという。おかげで予定よりも非常に作業がはかどったそうだ。土嚢をつくって積むだけの単純な作業に、かなり遠方からも含め、あちこちからボランティアスタッフが集まってくれたことに対して、現代美術館の幹部の人はびっくりしていたという。
「通路展」では、1000枚ものベニヤ板のパネルによってつくられた「通路」で東京都現代美術館の内と外とがでつながっているのだが、観客は、必ずしも通路が作られているとおりに進まなくてもいい。通路は閉じられているのではなく、あちこちの隙間からパネルの裏側に出られるし、誰もが裏側に出てみたくなるようにつくられている。そして、パネルの裏側に回り込まなくては見られない場所からドキュメントの写真が始まっている。
言わば、「通路展」は、展覧会そのものが川俣氏の活動のアーカイブになっているような展覧会なのである。ただし、「通路展」は、回顧展ではない。つまり、時間軸に沿って単線的に川俣氏の仕事の足跡をたどるという構成にはなっていないのである。すべてのプロジェクトは並行的であり、つながっていて、互いに対して開かれている。そして、進行中のいくつものプロジェクトがラボ(研究&作業スペース)という形で展覧会の中に組み込まれている。
同展には、1977-2007の30年間にわたって、川俣氏が世界各地で手がけたプロジェクトのスケッチや設計図や途中段階の模型などが展示されていて、作業中の川俣氏とスタッフの写真がたくさん並べられている。そのようにして膨大な枚数の写真に登場するいろいろな年代の川俣氏は、いつも自然体で、見ている側にその楽しさが伝わってくるように思える。
別の言い方をするなら、「通路展」は、川俣氏が1977~2007の間に世界各地で手がけたプロジェクトが、今に(そして未来に)「つながっている」ことを示す展覧会である。つまり、過去のプロジェクトではあっても、今とつながっている感覚が、この展覧会のすべてをつくっているのだ。
また、この日のテーマにダイレクトにつながる話で言えば、「通路展」では、メインの展示会場とは別に、独立したアーカイブルームが作られていて、会期中に公開に向けて専任のスタッフが毎日資料整備をしながら、一定の条件が整ったものから順次来場者に公開されるようなしくみがつくられている。
さて、今回の、「ZAIMサポーターズスクール」で川俣氏にアーカイブについてのレクチャーを依頼したのは、川俣氏の展覧会の作り方がアーカイブと切り離せないものだから、という理由もあるが、それだけではなく、川俣氏が「横浜トリエンナーレ2005」の総合ディレクターを務めたときに、アーカイブの重要性を就任当初から指摘していたという経緯があるからである。
川俣氏は、自身が何度も作家として参加している「ドクメンタ」のアーカイブを国際展のアーカイブのひとつの範としていて、横浜トリエンナーレにもきちんとしたアーカイブをつくるべきだと一貫して主張している。2005年の横浜トリエンナーレの総合ディレクターへの就任にあたって、アーカイブのことは最初から提案の中に入っていたのだそうだ。1回目のアーカイブが整備されていないことを知り、1回目はなくても仕方がないから、2回目からやれば間に合う、と思ったのだという。
そして、話はトリエンナーレにとどまらず、トリエンナーレ以外でも、いかにアーカイブが重要か、アーカイブがあるべきだ、という話につながっていった。
いまや、アーカイブはアートの源泉であるとともに、アートそのものでもある、とも言えるからである。
川俣氏からは、その一例として、ディーター・ロットという、一風代わった創作スタイルの作家のことが紹介された。彼は、生活の痕跡がそのままインスタレーションになる、という手法でアーティストとしての創作を行う作家なのだという。たとえば、ベネチア・ビエンナーレに選ばれて、選ばれたその日から初日を迎えるまでの自分の行動、自分の生活をひたすら記録する、それがアート作品になる、という具合だ。
あるいは、川俣氏自身の作品についてのちょっとしたエピソードが印象的だった。彼がスイスの小さな町で木でつくったインスタレーション作品は、そのままでは保存できないので、5年ごとに投票をして住民の意見を聞き、賛同が得られれば違う木を使って作り直しているという。この例では、時間が経ってモノとしての作品だけがそこに残っている、というのではなく、住民がそれを残す(かどうかを決める)ことに参加することで、作品がそのたびに再生され人々に共有される記憶となる可能性がある。もし、100年、200年経ったときに、その地域の人たちの間に伝承として自分の活動やその痕跡が残っていくものがあれば、たとえ作品という形でもの自体は残らなくても、自分としてはとても嬉しい、との川俣氏の発言は、大変共感できるものだった。
また、聞いていて非常に興味深かったし、私たちが勇気づけられるように感じたのは、そこに関わっている人たちが自分たちのアーカイブを持つべきだという、いかにも川俣氏らしいポジティブかつ実践的な提案であった。
誰かがアーカイブをつくっておけば、その記録性がすべての人にとって重要な意味を持つことになるという。たとえば、どこの街でもよいが、商店街のおまつりなどの活動を、そこに関わった誰かがドキュメントしておけば、あとあと、まちづくりのコンサルティングに使えるのだ、と。
それに、アーカイブをつくることはそんなに難しいことではなく、自分史をつくることと同じことで、それが自分たちの自信にもなる。自分たちの活動をアーカイブとして記録しておくことが自分たちの独自性をつくるし、ボランティアの歴史性、厚みをつくる、という川俣氏の指摘は、私たちサポーターとしてアート(今回は横浜トリエンナーレ2008)に関わる立場の人間にとって非常に実践的なヒントになると思う。
「アーカイブやドキュメントは終わりがない」
「持続することでものの見方が違ってくる」
「アーカイブは記録であり、記憶である」
これらは、すべて、この夜の川俣語録である。
現代アートを語るときに、アーカイブを無視することはできないし、アーカイブは、アーティストだけにとってではなく、すべての人にとって重要なものだ、ということをこれほど説得力を持って語れる作家はなかなかいないはずだ。
一般的に、現代アートにそれほど興味のない普通の人たちにとっては、アーカイブに関する意識はそう高くはない。アーカイブを「資料の収集・保存と分類」というような、後ろ向きの黴臭いイメージでとらえている人も多いだろう。もし、そうなら、そうではないアーカイブのありように目を向けてみると現代アートに関する見方がきっと変わるだろうと思う。
もし、この報告を読んで、アーカイブに少しでも興味を持たれた方がいれば、まずは「通路展」に行ってみて、そのあと、「横浜トリエンナーレ2008」に向けてのサポーター活動に参加し、自分自身のアーカイブ体験をされてみてはいかがだろうか。
(文:曽田修司〈ZAIMサポーターズスクール運営委員〉)
投稿者 sota : February 20, 2008 03:59 PM
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