September 22, 2007
メッセージ
「沈黙から 塩田千春展」ボランティア募集
展示・撤収作業のお手伝い募集にあたり
アーティストの塩田千春さんからメッセージが届いています。
ご覧ください。
みなさんはじめまして。美術作家の塩田千春です。
今年の10月19日から11月17日まで横浜市の神奈川県民ホールギャラリーで個展を行います。タイトルは「沈黙から」とつけました。横浜そして神奈川は私が2001年に参加させていただいた第1回横浜トリエンナーレの地として、とても思い出深く、あれから6年後となる今、再びこの地で展覧会ができること大変嬉しく思います。
今回の展示は、映像、私がかつて取り組んだパフォーマンス画像、たくさんの毛糸を使い展示室に張り巡らすインスタレーション、私が東ベルリンで集めた約1300枚の窓を組み合わせるインスタレーション、焼けたピアノ・椅子を展示室に配置するインスタレーションです。
私の作品をご覧になったことがある方はご存知かと思いますが、窓や毛糸のインスタレーションはとても大きなもので、神奈川の展覧会で取り組むインスタレーションも展示室が広いため大規模なものとなります。これまでドイツのほか、様々な地で作品を発表しましたが、その時にも、地元の学生さんやボランティアの方々など、たくさんのお力添えをいただき作品を創造してきました。
今回、神奈川県民ホールギャラリーでの個展も、美術などアートを勉強している学生の皆さん、地元の方々、インスタレーションという作品づくりに興味がある方など、たくさんの方の力をお借りしなければ実現できないと思います。1300㎡という広さの中で繰り広げられる想像の世界を、皆さんと私とで一緒に作っていくことができれば嬉しいですし、創造の場で共有する時間を過しながら交流が生まれれば本当に光栄です。
Berlin, 13. August 2007
サイン Download file
◎お手伝い募集の締切 2007年9月28日
<展覧会>
◎開 催 2007年10月19日(金)~11月17日(土)
◎会 場 神奈川県民ホール、ギャラリー(横浜市中区山下町3-1)
◎一般入場料 700円
December 24, 2005
年末年始のパーティーに 石内都 アフリカ料理レシピ

横浜トリエンナーレ2005開始前、9月2度目のヴェネチア旅行を控えている
ヴェネティアビエンナーレ2005日本パビリオン代表作家石内都さんに
インタビューをおねがいしました。
その際、横浜のアトリエにて様々な料理でおもてなししてくださいました。
細やかな心遣いと大胆で天真爛漫な石内さんの魅力は
作品の中にも表現されていると思います。
そんなお料理の中でもアフリカ料理のレシピを公開。
リビアの留学生に教えてもらったという石内さんの思い出の料理です。
ぜひ年末年始のパーティーで楽しんでください!
楽しい年末と年越しを!(取材・文 井上玲 写真 和田昌樹)
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石内さんによるアフリカ料理 フルフルメッシュの作り方
リビアの留学生に教えてもらったと言うフルフルメッシュは
ピーマンの中に野菜とお肉の風味たっぷりのご飯をいれます
パセリの爽やかさとピーマンの甘味でいくつでも食べれるおいしさです
メインディッシュにも、冷ましてお弁当にもおいしい一品です
材料
1 大ピーマン10~15 小20
2 米カップ1.5カップ
3 牛ひき肉 150g~200g
4 パセリ1束 みじん切り(普通の束だと5束)
5 完熟トマト中2個(手でつぶす)トマトカン1個でも可
6 サラダ油(オリーブ)2分の一カップ
7 ハリサ2分の一 フランスアフリカで使われる爽やかな辛さの香辛料
(渋谷・西武 coo地下1階にて販売されているとのこと)
参考サイト
http://mandp.hub-net.co.jp/produit_tunisien/tun_prod_harissa.html
パプリカ・カレー粉サフラン 赤とうがらし コショー 塩
その他の好きな香辛料など
8 トマトかトマトカン1個大
作り方
① 2~7をよく手でこねてまぜる
② ピーマンのヘタをふた状に切って中の種を出して①をたっぷりつめる
③ なべの底にレタスかキャベツを全面にひき②を立ててなるべくすき間なく
ピーマンのヘタでふたをする
④ トマトをつぶして塩で味を整えて③の上にかける
⑤ 中火より少し弱火で約40分~1時間
ピーマンの色が変わったら中身を食べてみて出来上がり
注意 なべのふたはなるべく重い方がよい 上に石を置くか
洗濯バサミではさんでもよい 穴のあるふたはダメ
※写真と文章の著作権は作家や関係者になります 無断転用禁止
December 09, 2005
ピュ〜ぴるさんインタビュー「私自身が作品」
十代の頃より独学で洋裁を始め、ファッションの世界でも活躍され、横浜トリエンナーレでは毎週土曜日にパフォーマンスを行っているピュ〜ぴるさん。ご自身の作品、そしてその背景についてお聞きしました。
2005年11月26日(土)、会期も後半を迎え、フィナーレに向けて着々と準備の進む中、会場の作家控え室にてパフォーマンス後のピュ〜ぴるさんにお話をお伺いしました。
パフォーマンスではPLANETARIA / 海王星のニットを着て、多くの観客が集まる中、「愛の生まれ変わり」の壁に登り、ニッティングを披露しました。当日はじっとしていると手足がかじかむくらいの寒さでしたが、「ニットは熱くて、汗まみれ」と言われたように静かであっても、熱いものでした。

パフォーマンス中のピュ〜ぴる

パフォーマンス中のピュ~ぴるを見守る多くの観客
今回の出展作品「愛の生まれ変わり」はタイトルの通り輪廻転生を意図して作られています。それは「作品は私そのもの。」と話されたように作者の日常から生み出されたもので、作家と作品は密接に繋がっています。過去を表現した「ニット」、現在の「鶴」、そして未来へとつながる「映像」の三部構成はそれぞれ作者の人生を視覚化したものと言えるでしょう。
「作品は日常にショックがあると生まれます。普段、仲間と一緒にいて笑ったり、楽しんでいる時、あえて何か作りたいとは思いません。美意識の問題だけど、日常の苦しみ・つらさを人にぶつけるようなことをしたくないのです。そういった時、ひたすら同じものを作り続けるなど、傍から見ると美術作品を作っているような行為に陥ります。つまり、私にとって美術作品は結果として生まれるものであって、作りたくて作っているわけではないのです。」とおっしゃるように、なにかしら不安をひきおこすような考えが頭の中に浮かぶと、それを気にせずにいられない状態になり、同じ行為を繰り返して精神の安定が図られるようです。「ニット」は3年以上編み続けられ、「鶴」も1年を越えて折り続けられています。ピュ〜ぴるさんは、作り続けるという行為があるからこそ、生きていけるのだと思いました。作り続ける行為はピュ〜ぴるさんにとって欠くことのできない重要な行為なのです。
ピュ〜ぴるさんにとってショックなこと、それは「努力ではどうしようもない」と思い知らされることです。作家が抱えるセクシャリティの問題は深く作品に関わっています。「心は女性でも、体は男性。12歳の頃から学校でいじめられ、死んでしまいたいと思ったこともありました。原因は、自分ではどうしようもできないことなのですよ。自分て何だろうと思いました。世の中の美術作品の中には気持ちの悪いものをそのまま、あえて表現しているものもありますけど、私にとっては日常の中での辛い事や気持ちの悪いものを永続的に感じているので、そのようなものに惹かれることはありません。明るい中で明るいものを見てもほとんど気が付かない。でも、暗い闇の中からならほのかな明かりでも明るいことに気付くんですよ。」と、ただ綺麗なだけではない作品は深い作家の体験から生まれています。
ピュ〜ぴるさんは現在、東京に住んでいます。環境が整っている海外の方が暮らし易いのでしょうが、東京で活動しています。「将来的に海外に住む予感はしています。確かに日本は住みにくいです。文化的、法制度的に遅れているから。それでも東京に住んでいるのは仲間がいるからです。仲間には弱い人が多いです。社会的にもだけど、本人が。仲間内での愚痴とか聞いているとホントうっとうしいし、そういうのを相手に向かってきちんと言えよ、ぐらい思います。けど、愛おしいんです。でも、厳しくてもつらくても結局、最後は自分で立たなければならないと思います。そして奮い立たせるものとして私の作品があればうれしいし、そういうことをみんなに伝えられたらと思います」。人生に苦しんでいる人に対し少しでも手助けができないかと作者は考えています。現在、取り組んでいる次の作品もそうした意図によるものです。
次の作品は作家自身のポートレートになります。ピュ〜ぴるさんの作品は時代とともに変化していきます。ニットに身を包み、武装していた頃から、そうしたものを脱ぎ捨て、新たな境地を見せた映像作品、それに続く作品です。そのため現在、過酷な肉体改造を行っています。「人はほとんど外見で判断します。それを逆手にとった、だから何なの?という作品」とおっしゃるよう、社会に向って疑問を投げかけ、「常識」に挑戦するような作品となりそうです。そして努力ではどうしようもないことで人生に苦しんでいる多くの人に対し、メッセージを投げかけるでしょう。
ピュ〜ぴるさんが作品を作り続けるのは、ピュ〜ぴるさんがいることで救われる人が確かにいるからです。「自分でつらいことをあえてしようとは思わない。けど、自分の存在で助かる人がいる。その人たちの思いがあるから、つらくても生きていこうと圧倒的な力が湧いてくる。」との言葉は、インタビューの中でも大変印象的でした。
今回のインタビューを終え、「ピュ〜ぴるさんは逃げない人だ」との思いを強くしました。努力ではどうしようもないことにぶつかっても、嫌な陰口を言われても、取っ組み合いの喧嘩をしても何があろうと引かない。そのようなつらい経験を乗り越えて今のピュ〜ぴるさんがいると知りました。ただ綺麗なだけの作品ではない、作品の背景をお伺いすることができ、今までとは作品を見る目が変わるほど印象的な出来事となりました。
文 平野 修二
写真 AQIRA
石内都 ヴェネチアビエンナーレ凱旋インタビュー
「人から力をもらって写真を撮っている」

写真「6月9日に行われたオープニングパーティーでの石内都さん ヴェネチアを愛した友人の遺品である着物を着て」
現代美術のオリンピックともいえるヴェネチアビエンナーレ2005参加作家石内都さんは横須賀市で育ち、横浜市にアトリエを持つアーティスト。今回は5年前に亡くなった母の遺品を撮った「マザーズ2000-2005未来の刻印」を日本館にて個展開催。初めての女性写真家の個展であり、女性コミッショナー(笠原美智子氏)による女性作家展示も初めての快挙である。ご両親の残した美しい庭と猫と暗室と、そしてマザーズシリーズの撮影場所である横浜市のアトリエにお邪魔しました。
Qヴェネチアのつかれはとれましたでしょうか。
Aひと言で言って面白かったので疲れはありません。また9月ヴェネチアにいきます。会期の中間地点なので、もう一度展示の確認に。ヴェネチアは、暑いので1.5メートル×1メートルのけっこう大きいフォトアクリルが心配で見に行きます。日本館って空調がないので作品にゆがみが出ているかもしれないので。会場設営、展示、オープニングと毎日忙しかったから、これを機会に再度自分や他の国の展示を冷静にみてこようと思っています。
Qヴェネチアの展示オープニングはいかがでしたか
A内覧会のオープニングは晴れやかでしたが、入場のチェックがきびしいわりには、日本館でもだれかが叫んでいたわ。(笑)道で自由にパフォーマンスをしている人もいるのだけど、そうゆうのは不法ではないみたい。気になった作品はアルセナーレ(造船場跡を使ったグループ展、ビエンナーレ事務局主催の企画展示)の35才以下の部門で金獅子賞を受賞したレヒーナ・ホセ・ガリント(Regina Jose Galindo、グアテマラ 30才)の映像作品はなんとなく惹きつけられるものがあったわね。ヴェネチアの街中を歩きながらすこしずつ服を脱いでいって、最終的には自分の毛を全部剃ってしまうというパフォーマンスなのだけど、少年のような体の作家が一生懸命パフォーマンスをする姿はなんだかけなげで。赤い液体が入った洗面器を持って歩いて、いろんなところに置いて、液体を足に浸してぱたぱたひたひたと痕跡をのこすのね。昔ながらの肉体を使ったパフォーマンスなのだけど、グロデスクでなく作家のシンプルな主張が見えるいい映像作品になっていたの。アルセナーレは今回半分以上女性だったんじゃないかな。入り口のタンポンのシャンデリアやゲリラガールズの男性中心の美術界を風刺するポスター風な作品なんかがあって、女性色が強いともいえる展示でしたね。いままでで初めてじゃないかな。パビリオンの方はやっぱり男性が多いようでしたね。
写真「笠原氏希望の鏡割りに川俣氏も参加 左から川俣正氏、石内都氏、小瀧徹氏、笠原美智子氏 郷土群馬の近藤酒造の協力による」
Q至上初の女性総合ディレクターで女性作家の活躍が顕著だったのですね
石内さんはどのように展示されましたか。
A古めかしい大理石の床や真ん中にある大きな方形の穴が課題でした。それまでの展示では20年間床にリノリゥームや絨毯を貼って、穴にフタをして覆い隠していたんだけど、私の展示では元の状態に戻すことにしたの。大理石を磨いて、穴に43インチのプラズマテレビをはめこみました。写真の展示はモノクロの大理石が映えるように連動性を考え、作品を低く展示しました。外から入ってくるとかなり異空間になったわね。こんなに床がきれいだったかと関係者はみんなびっくり仰天していたわ。壁に支持体の突起物もある強い空間で、毎日どうするか平面図をながめていたら、卍の形がでてきたの!そのとき「これはうまく展示ができる」と予感したわね。50年前の建築を元に戻すということと、母の遺品を撮った作品ということと、床のDVD映像は初期の作品を流すということで、過去と現在を一つにするというのが最初のコンセプト。井戸を覗くような感じで足元をみる。まるで過去を覗くようにね。
母の遺作「マザーズ」というテーマで一つに絞ろうというのはコミッショナーの笠原さんのアイデアでしたが、シンプルで強く、世界中誰でもわかるタイトルですし、正解だったと思っています。
写真「展示風景 モノクロームの空間に美しい赤い長襦袢が映える」
Q作品と空間に時間を凝縮させる。まるで映画を1枚の写真にするような、労力と情熱によって、石内さんの写真は熱をもって発光しているかのようです。作品についてお聞きできますか。
A実際の写真は母の遺品であるわけなのですが、そこに写っているのは記憶であったり時間であったりするわけです。ある種、母の身体が残っているものに関して、喪失感が大きくて。身体がないのに着ていたものがある不思議さ、それに遺品として一般的な価値があるものじゃない、捨ててしまう中古の下着や使い古しの道具をしっかり見ておきたいという気持ちで撮り始めました。日増しに形骸化していくモノ達を、母が生きてきた時間の形を見てみたいという気持ちがあったわけなのです。
Q同性の親を一人の女性、一人の戦後を生き抜いた人として見つめなおす作業とも思える肌着や化粧品などの遺品との対話の時間。切ないけれど時の経過を見つめる凛とした作家の姿勢が作品の緊張感にもなっている。見ている人の反応はいかがでしたでしょうか。
A外国の人はけっこう話しかけてくるんです。やはり「マザーズ」的な写真はあまりみたことがないわけですよ。カタログをしっかり読んで勉強してくる人も多いから、やっぱり感動的だったみたい。(笑)「マザーズ」を撮った1つの要素ですが、母との確執を取り除くために撮った写真だということを話すと、とっても納得してくれました。母親との確執をもった女性が多く話しかけてきたような気がします。男性は話しかけることよりも内覧会で作品の写真をたくさん撮ってましたね。
海外は写真作品に対してリスペクトが強く、作家と鑑賞者の垣根がしっかりある。日本では写真家というけれども海外ではアーティスト。写真はだれでも撮れるという感覚はないしね。心地よい経験です。
Q海外の展示経験も多い石内さん。文化や言語を超えて、写真を通じて伝えたいこととは何でしょうか。
写真は写るのですよ。形でない別のものが。撮る人の姿勢が移るんです。わたしは目に見えないものに興味がある。時間とか匂いとか音とか、五感に近いようなもの。写真はそんな部分に関係があるような気がしていたのですよ。それが写ればいい写真になる。写っている形は私にとってはどうだっていいものなのですよ。たまたま私は身近なものを撮ることが多いのだけど、プライベートなモノって以外に拡がりをもつことができるのですよね。そうゆうものでしか広がらないって有価。私がこだわればこだわるほど、どこかに伝わって広がってゆくような感覚が内覧会中ありましたね。直接人を撮らなくてもやはり人から力をもらって写真を撮っています。
Q人の繋がりを大切にされている。作品からも繊細なやさしさが伝わります。オープニングパーティーにはどのような人がこられましたか。
Aヴェネチアは2週間いましたが日増しに人が増えてくる。世界からアートを愛する意識的な客が来る。110年の歴史でビエンナーレに対する信頼も厚いし、70カ国の芸術が見れるというのはすごい。内覧会では何千人という人が来ます。内覧会を目当てに世界中から人が集まる。ギャラリストやコレクターによるアートビジネスが行われる。そしてアートとは社交なんです。展示にはパーティーがつきもの。日本はあまり社交も外交もしないけれど、それは今後もっと発展すべきですね。但し、今回はかなり大パーティーを開きましたが。
Q盛り上がっていますね!ヴェネチアに展覧会を見に行きたいです。現時点で展覧会を振り返るといかがですか?
A下着を撮った映像作品があって、それに付けた音楽はG線上のアリアだったんだけど、ヨーロッパではお葬式に使うらしいのね!イメージにあっているのだけど、ぴったりすぎちゃったかな。(笑)おもしろいのだけど、かなりそれで独自な雰囲気を作ってしまったよね。あとヴェネチアだから出品したのは赤い長襦袢の作品。西洋的な下着や口紅は撮れるのに、なぜか赤い長襦袢は撮れなかった。やはり日本人に共通するある種のイメージ、遊郭とか遊女というイメージが強すぎたのかもしれない。海外はそうゆう先入観がないので展示しやすかったの。そしたらこのモノクロームの展示空間にきれいに映えました。世界から厳選されたアートファンが来るビエンナーレ。これを通過点にして、次に行きたい。「マザーズ」はヴェネチアで完結させようと思っています。
Qビエンナーレはどのように町や国と関わっているのでしょうか。
A観光以外ないようなところだから、もう大事な経済効果のひとつね。映画祭も美術展も観光の一環。ビエンナーレの時は、ホテルはすべて2倍の料金になる。作品と人がゾクゾクと出現するオープニングで一気に盛り上がります。
アートのオリンピックであるから国同士がパビリオンの場でアートを競うのね。韓国館は最近できて、それが一番新しいパビリオンなのだけど熱気を感じました。ビエンナーレはそもそもすべての国が参加していたのではなくて、歴史と共にパビリオンも増えている。中国はジャルジィーニ公園にはもうパビリオンは建てられないので、アルセナーレの一番奥の公園にパビリオンを建設予定です。今回は、UFOを飛ばすというインスタレーションをやっていて、コミッショナーの芸術家蔡国強さんは中国から農民を呼んでいたわ。規模が違うわね。国がしっかりヴエンナーレに関わっている感じがします。
Q日本の代表として石内さんが展示されたことが横浜市民としても誇らしいです!
横須賀で育ち、横浜にアトリエのある石内さんの横浜の思い出を教えてください。
A高校のころは横須賀にはよく映画を観に行きました。「アラビアのロレンス」を30回以上見て、映画より実在した人物に興味があって、ロレンスの本はすべて読みました。原書から読んで訳そうとしたり、ロレンスの命日に海に花を投げに行ったこともあったかな!横浜にはライブチケットを買いに。桜木町の駅の前にチケット売り場があって、よく行きました。私は外タレほとんど見てるの!武道館のビートルズも行ったし、当時は横浜市体育館でライブがあって。パット・ブーンとかね!伊勢佐木町に「ピーナツ」という船乗りの来るバーがあって、一度だけドキドキして店に入ったのをよく覚えています。写真を始めた頃は、赤レンガ倉庫に写真を撮りに行きました。引揚者の待合室が見たくて行ったのですが、人がいなくて殺風景で怖々歩いたのを覚えています。
Q最後に横浜トリエンナーレに期待することを教えてください。
A私は初めて川俣さんと会ったのはヴェネチアでのオープニングパーティーの場です。笠原さんの希望の鏡開きをいっしょにやりました。短い日程でトリエンナーレをディレクションするのはたいへんだけど、あいまいじゃない川俣さんの人となりを知って、「彼ならやれるんじゃないか」と感じましたね。グループ展なわけだからコミッショナーがしっかりコンセプトをもっていればいい展覧会ができると思う。徐々にアーティストがコミッショナーになる時代になっているのね。作家の立場がわかるアーティストがディレクターのトリエンナーレに大いに期待しています。
(2005年9月現在)
(プロフィール)
石内都(いしうち みやこ):
1947年群馬県生まれ、横須賀育ち。多摩美術大学で染織を学び 、1970年代半ばから写真に取り組んでいる。これまで国内外の 多くの場所で作品を発表し、木村伊兵衛賞(1979年)をはじめ 、数々の賞を受賞してきた日本を代表する写真作家の一人。
2005年12月7日(水)~1月29日(日)、銀座の ハウス オブ シセイドウにて「永遠なる薔薇―石内都の写真と 共に」展が開催されます。
HOUSE OF SHISEIDO
http://www.shiseido.co.jp/house-of-shiseido/
写真提供:石内都
インタビュー 井上玲
(取材時、はまことりとして協力しましたが、今ははまことりに所属していません)
※写真と文章の著作権は作家や関係者になります 無断転用禁止
November 24, 2005
横浜トリエンナーレ2005キュレーター芹沢高志さんインタビュー
僕にとっての展覧会とは「場」と関わり、観客を「旅」へいざなうこと
■横浜トリエンナーレ以前のことについて
はまことり(以下H):過去、芹沢さんが開催された展覧会の中で、特に芹沢さんのキュレーションを特徴付ける展覧会と、そこで果たされた役割について教えてください。
芹沢さん(以下S):やはりデメーテルでしょうね。正式名称は、とかち国際現代アート展「デメーテル」。2002年に開催された展覧会です。「デメーテル」のときは、今、川俣さんが横浜トリエンナーレでやっているような総合ディレクターの役割を引き受けました。あとで横浜トリエンナーレのことを話すとき、どうしても触れると思うから先に言っちゃうと、ぼくは基本的に横浜トリエンナーレのように100人くらいの規模の大規模展というのはどうもしっくりこない。自分の体質にあってないと思っています。
ぼくは現代アートの一番の面白さって、つくっている人が自分たちと同じ時代を生きていることだと思っている。いくらすごくても、ゴッホとかルノアールとは、たとえば9.11のことを話せないじゃない。でもこの面白さ,まだ、みんなで共有するのが、なかなかうまくいかないですね。
H:なかなかうまくいかない理由をどのように考えておられますか?
S:この面白さを共有していくためには、みんながそれぞれ、自分の体験したことをあとからきちんと振り返ってみる必要があると思う。なんでもそうだけど、走っている最中に、今,起こっていることの意味を感じ取るのは難しいことですよ。現代アートもそう。まさに同じ時代を一緒に走っているわけだから,つくっている方も観る方も,よくわかってないことが多い。逆に言えば,わかっちゃって走っているなら、とくに面白くもないわけです。意味というのは,いつも「あとから」やってくるものですよ。振り返ってみて、ああ,そうだったのかと意味がわかる。その今,わかった意味も,またあとから振り返れば,違ったものに変っているかもしれない。
現代アートは,特にその側面が強いと思います。今はよくわからなくても,あとから,あー,と思うことがよくある。アーティストも,ぼくと同じ空気を吸っている、同じ時代を生きている人たちの表現活動なんです。しかも大部分のアーティストは、頼まれもしないのに、なんでこんな馬鹿なことを?というようなことを敢えてやっていくわけですね。一緒にやっていると、なぜそんな苦労をしてまで彼らはそんなことをやっていくんだろうと考えて、そこから自分でも気づかなかった共通の問題意識を発見することもある。また、アーティストは極端だから、普段の日常では気づかなかった問題を違う角度から気づかせてくれることもありますしね。
そういう観点からすると、自分と一緒に生きている生身の人間を相手にするわけだから、キュレーターとかディレクターといっても一人の人間だし、きちんとつきあえる限界がある。相手も今を生きる個人であり,キュレーターやディレクターも個人です。一度に100人もの人間といっしょにどっぷりやっていこうとしても無理があるわけですよ。
言い方によると批判的に聞こえるかもしれないけど、横浜トリエンナーレや越後妻有のトリエンナーレでも,ひとりの担当者が抱えるアーティストの数は多すぎると思う。
こういう考え方を持っているので、デメーテルのときは、ちょっと無謀だったけど、思い切って10作家にしてみたんです。
H:確かに、デメーテルのウェブサイトを拝見して、作家の方が少ないという印象を受けました。
S:展開する場所は今回の横浜トリエンナーレとは比較にならないほどの広さの20ヘクタール。帯広の競馬場を使ったのです。競馬場といっても、馬が走るレーストラックではなくて、バックヤードにある、馬を飼っておく厩舎エリア。そこが実に魅力的な場所で,昔の帯広の風景を保っている感じがしたから、そこを使ったのです。
競馬場厩舎地区は、今回の横浜トリエンナーレの山下埠頭倉庫と同じで、普段は社会から切り離されて、一般人が入れない場所なのね。それを現代アートの力によって「場所を開く」。デメーテルの場合は特にその意味が強かった。十勝にとって、馬は開拓を象徴しています。十勝の成立の仕方が、アメリカやカナダに似ている。アイヌという先住民との関係を考えても,開拓は複雑な歴史だ。そしてその開拓の歴史には馬がすごく関わってきたわけだし、実際にそこに残っている風景は、社会と隔離されていたがゆえに、昔の帯広が残っている。このランドスケープは、ある種,記憶の保管庫なんですよ。実に魅力的な場所だった。一般の人は現代アートの展覧会と言っても興味を示しにくいですよね。だから現代アートから入ってもらうのではなく、まず風景から入ってもらって、風景を再発見してもらう。服地の地と柄という言い方があるじゃない。風景が地。とってもいい地を持っているのだけど、普段あまりに見慣れていて,そのすごさに気づかない。なので、そこにすごく珍しい柄、現代アートの作品をぽつんぽつんと置くことで、地そのものを強調する。地と柄の関係というイメージで、デメーテルは設計しようと思いました。
最終的にどうしたかというと、広大な風景のなかに作品を点在させ、観客は地図をもって会場を回っていくようにしました。次から次へと現代アートを探して旅をして、また戻ってくる、そんな「非日常的な旅」。ありがたいことに、ちょうど同じ頃、「千と千尋の神隠し」が上映中だったのでよく例に使いました。千尋の世界の方が現実だけど、彼女はトンネルをくぐって別な世界に入ってしまい、不条理なことに次から次へと遭遇していく。それを現代アートになぞらえて、「普段はこんなことありえない」状況と、観客が次々遭遇していくように作品を配置していきました。
千尋は旅をしていくなかで、今まで自分がこうだろうと思っていたことが成立しなくなって、試練や苦痛を乗り越えていく。そして,人として成長していく。彼女は降りかかる不条理に対して「わからない」と逃げ出すのではなく,精一杯それと向かい合う。ユリシーズやオデッセイア、ロード・オブ・リングも、すべて旅の物語です。物理的な意味での旅であるとともに,精神の旅でもある。デメーテルの場合、次々とアートを探して帰ってくる、ひとつの「旅」にしたいと考えたんです。
H:いろいろ過去の展覧会などを拝見したり、今のお話をお聞きして、芹沢さんは、キュレーターというよりは、川俣さん的な「つくる」要素を持っていると感じたのですが、その辺についてはどう思われますか?
S:ありがとうございます。(笑)ぼくや山野さんの場合,どうもキュレーターという肩書きが居心地悪いんです。自分はキュレーターじゃないという自負もあるし、アートを専門的に学んできたわけでもないのにキュレーターと名乗っていいのか、申し訳ない、という恥ずかしさもある。
今振り返って自分の仕事が何に近いかっていうと、映画のプロデューサーに似てる部分があるなって思います。
キュレーターというと、あるものを選んでくるケースが多いですよね。しかしそうではなくて、最初にアーティストからプランが出てきたら、ここはちょっとこういう風にしたほうがいいんじゃないのかとか、予算のことも頭に入れながら、対話をしていきます。それでアーティストのほうも納得してくれたら、作品をつくっていく。ぼくのはそういうやり方なのね。
映画の場合、気に入った原作があって、これを誰に撮ってもらおうかというところから始まる場合もあれば,とにかくこの監督と一緒に仕事がしたいというところから始まる場合もあるだろうけど、要するに自分たちの映画をつくって欲しい監督候補と徹底的に話し合うところから始まるわけです。で、これなら、と、両者がピンときたら,そこからプロジェクトが始まる。アーティストには作品づくりに没頭してもらい,ぼくらはプロデュース側に立つことになる。だけど、一番始めのところは未分化な状態で対話を続けていく。まあ,その意味で,「選ぶ」というよりは「つくる」という感じなんでしょうね。
P3では、一人のアーティストと仕事をすることがほとんどなんですよ。キュレーター的な考え、今これこれのテーマが美術史の流れの中で重要だから、この作品とこの作品とこの作品を選びますというようなやり方はとらない。「こいつと何かしようぜ」というノリで選ぶわけです。だからね、今回のような大きな国際展は、ちょっと自分のスタイルではない気がするんです。
デメーテルのときは、総合ディレクターだったから、最初にあった枠組みを全部変えるところから始めようと思いました。構想では,ごく普通の展覧会だったんですよ。でも、敷かれたレールを変えるのは大変で、1年かかりましたね。それに比べたら、オープニング前夜に台風がきて大変なことになったことも、大した問題じゃなかった。(笑)
■今回の横浜トリエンナーレについて
H:今までお聞かせいただいたお話を踏まえ、今回の横浜トリエンナーレにおいて芹沢さんは個人的にはどうなったら成功と思われますか?
S:100人近いアーティストとはいつものようには深くは関わりあえないけれど、自分が担当していく作家とはなるべくいつものようなやり方で密にやっていきたいですね。
だけど、気をつけなければならないことは、横浜トリエンナーレというのはぼく個人が全体をディレクションするのではないということだけでなく、川俣さんも含め,自分たちのカラーだけで勝手に創り上げていけるようなクラスではないんです。もちろん,出来上がったものは自分たちのカラー以外の何ものでもないのだろうけど,それでもひとりでやっているのとは比べ物にならないほど,考慮しなければならないことが多い。一人芝居をしているステージではないんです。
そういう意味で、僕なりの成功の基準は、どこまで社会を巻き込んだかということかな。巻き込みがうまくいけば、僕にとっての横浜トリエンナーレ2005というのは意味があります。限られた現代アートの専門家に評価されるのではなく,だからといって社会に迎合するわけでもなく,その上で,これまで現代アートに疎遠だった人々にもよろこびや驚きを与えられるなら,それこそが満足のいく成功です。
H:横浜トリエンナーレにおいては、芹沢さんの個人的なカラーを押し通すのではなく、どれだけ社会を巻き込んでいくかを特に主眼とするということですね。
S:そうです。市民本位の国際展を動かしていくには、いろんなことをやっていかねばならないし、キュレーター業務を逸脱する、雑用といってしまえば雑用とも言えることも数多い。正直に言えば,自分として,あまりやりたくないこともたくさんあります。でも,今回は割り切った。
H:出展作家は誰がどのように選ぶんですか?
S:天野さんがアジア以外のすべて、山野さんがアジア、ぼくがその他のよくわからないところを担当します。(笑)。とはいっても、担当というのは最終的に決めることで,作家を選ぶ際は、川俣さんを含めた4人のキュレーターチームの合議で決めていくわけです。
今回の場合は、川俣さんがビジョンを出して、キュレーターはそのビジョンを実現させるのがミッションと割り切っているから、キュレーター間の関係は珍しいほどとげとげしなかったですね。川俣さんがやろうといったら実現させる。よっぽど首をかしげる場合は、やめてもらったけどね。(笑) 川俣さんがフィルターの役割を見事に果たしています。
■横浜トリエンナーレ以降について
H:今後芹沢さんご自身が横浜トリエンナーレ以降に開催していく展覧会の展望や、やってみたいことを教えてください。
S:今までぼくがP3でやってきたスタイルを、そのままやっていくんでしょうね。そして、やはり「旅」が重要なテーマになる。組織が巨大化して、動きが鈍化していくのもいろいろ見てきたから、一つ一つの仕事をプロジェクトと考えて、必要に応じてチームをつくり,身軽に旅ができる機動的な形態でやっていきたいと思っています。
話は元に戻るんですが、そこも映画づくりに似ているな、と思うんですね。フランソワ・トリュフォーが監督した「アメリカの夜」という映画があります。夜のシーンを撮らなければならないとき、昼のシーンを夜に変えてしまうやり方があって,それをアメリカ式夜というらしいけど、つまりこのタイトルは映画の世界のことですね。監督自身も監督役を演じてたけど、これは映画ができる過程を描いた映画でした。ロケが始まっても,まあ,いろんなすったもんだが起こり続ける。妊娠を隠していた女優のおなかが途中で大きくなってシナリオを書き換えることになったり,俳優同士ができちゃったり,まあ,とにかくいろいろあるわけですよ。でも、次々と起こる予期せぬ事態を乗り越えて,なんとか映画を撮り終わる。するとチームは解散し,ひとり,またひとりと現場を去っていく。P3が組織するプロジェクトチームもそんなもんで,この辺が映画づくりに似てるなあと思うんです。
H:芹沢さんは元々建築畑のご出身ということですが、建築家ご出身だったのが、かえってよかったようにお見受けしましたが。
S:良かったと思いますよ。でもね、ぼくは、元々数学やっていたんです。数学から建築に移り、都市・地域計画に従事しているなか,たまたま、ある建築計画に関連して、アートに関わることになった。ぼくの人生は事故の連続みたいなものですよ。今回の横浜トリエンナーレも、川俣さんに誘われて「ほんとかよー!!!」という感じだけど、(笑)「また面倒に巻き込まれて」と思うか、「どうせなら楽しんでやるか」と思うか,それは考え方次第でね。
H:最後に、ご家族は芹沢さんのお仕事に関してどういった感想をお持ちですか?
S:子供はいないのですが,母親は健在で,ときどきぼくの仕事を見に来てくれますが、まあ,息子がやっているという一点だけでほめてくれる。(笑)
H:奥様のほうは?
S:「あたしは奥さんじゃないから感想なし!」という返事でした(笑)。補足すると、奥さんじゃないというのは,横浜に行ったまま帰ってこない夫の現状と、同じP3の経理スタッフであるということから。でも、「うれしいに決まってるじゃないの」とも言ってくれましたが。
H:それは、なんとも素敵なコメントですね。(笑)今日は本当にお忙しいなか、お時間割いていただいて、ありがとうございました。
(はまことりの感想)
このインタビューをさせていただいた頃、芹沢さんは横浜トリエンナーレ開催期直前で疾風のように様々なところを飛び回っておられるご様子でした。こんな時期に申し訳ないなぁと恐縮する私たちはまことりに、芹沢さんは、ゆっくり言葉をかみ締めながら、暖かくいろんなことを答えてくださいました。先日ZAIMでお見かけした際、お元気そうな芹沢さんを見て、思わず「横浜トリエンナーレは私にとって旅でした!!!」駆け寄って熱く語ってしまいました。芹沢さんのおっしゃっていた「旅」という言葉が本当に胸に染み渡るような今回の横浜トリエンナーレ。このインタビューを読んで、足を運んでみてはいかがでしょう。今までとは少し風景が違って見えるかも。(はまことり/かねこきよこ)

芹沢高志
1951年 東京生まれ。
1989年、P3 art and environmentを設立。以後、現代美術、環境計画を中心に、数多くのプロジェクトを国際的に展開している。帯広競馬場で開かれた国際現代アート展「デメーテル」の総合ディレクター(2002)。アサヒ・アート・フェスティバル実行委員(2002-06)。慶応大学理工学部非常勤講師(建築論)。著書に「この惑星を遊動する」(岩波書店)、「月面からの眺め」(毎日新聞社)、訳書にバックミンスター・フラー「宇宙船地球号操縦マニュアル」(ちくま学芸文庫)、ケネス・ブラウワー「宇宙船とカヌー」(ちくま文庫)など。
November 17, 2005
向井山朋子インタビュー "Can you hear me?How do you hear of that sound?"
10月の終わり、山下ふ頭のトリエンナーレの会場から離れたみなとみらいのホールでたった一人のためのピアノコンサート"for you"が行われた。そのことを貴方はご存知だろうか。演奏者であるピアニストの向井山朋子さんにお話を伺った。(はまことり /Bonne)
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「今までにも“for you”シリーズは何度か行ってきたんですが、一日に平均で10組くらい、つまり1人のために15分間の演奏を10回する、という形のものが多かったで す。今回、横浜トリエンナーレに出品した"for you"は本当にたった一人のため、という形になっていますが、そこにはあまり違いを感じていません。むしろどんな大きないわゆる「普通の」お客さんがたくさん入っているコンサートで弾くときでも私はなんとなく一人の目を付けた人を見て演奏してしまうんですよ。その方がつながりやすい気がするんです。 1対1のほうが。その時の観客との距離感ですか?それは一言では言えないですね。その関係性はもしかしたら近くなっているかもしれないし、低くなっているいかもしれないし、回っているのかもしれない。それはその二人の関係としか言えない何かです。」
<誰もいない森の中で一本の木が倒れた。誰もその木が倒れたことを知らない。その音は鳴っているといえるのか、それともいえないのか>
このフレーズは昔読んだ小説の中に出たもので、今ではその小説が何という本だったのか全く思い出せないのだけれど、小説の中では登場人物の男女がこのことについて話し合っていたような気がする。実はある風変わりな哲学者が提出した命題だそうなのだが、小説の中でそれに彼らがどう答えていたのかも忘れてしまった。でもこのフレーズだけは覚えていて、今回お話を聞いたとき、このフレーズがフラッシュバックした。
たった一人の観客のために、ピアニストが2000席のホールでコンサートを開く。
それが、今回の横浜トリエンナーレの出品作家、向井山朋子の“for you”だ(った)。そしてこのコンサートを聞くたった一人の権利は、オークションによって10月19日に100万円で落札された。15分間、彼女を独占する権利。
アムステルダム在住の彼女は、このコンサートが行われる3日前に横浜入りし、3日後には帰国したそうだ。アムステルダムから日本までの時間は15時間。彼女は15分間のピアノ演奏をたった一人に聞かせるためにやって来て、そして帰って行った。
「最初、今回のトリエンナーレへのオファーをもらったときは、観客を不特定にできないかと考えていたんです。ある場所に住居スペースとピアノを一緒にしてしまった空間を作り出して、私は24時間そこにいて、疲れて休んだりしながらもずっとピアノを弾くというもの。でもこれは体力的な問題と住居を整えるという環境的な問題から取り下げになり、今回の形になりました。コンサート・チケットをオークションにかけることについては、今回のトリエンナーレの作品の一部がオークションにかけられることを聞いて、そういう風にしたいと言われたのですが、最初はとても抵抗がありました。でも、ある日ふっとふっきれて、OKしました。オークションによってコンサートを聞く権利を買う、という如実なお金のシステムに自ら飲み込まれてみることによって、人々にどんな反応が生まれるかに興味があったんです。そしてこのチケットを買った人や、それ以外の人々もまた、今度何かのコンサートを買う時にチケットの交換として取り引きしたお金の価値について、「これは何の対価なんだ?」と考えざるを得ない機会になると思います。」
インタビューに答えてくれる彼女は、すらりとした長身の美しい女性で、鈴のような声で話す。彼女の演奏をほんの少しだけ以前に聞いたことがあるのだけれど、とても力強くて、びりびりするような刺激的な音でそしてとても女性的だと思った。でもその演奏を私は聞くことが出来ない。その音を聞く権利は誰かが買ってしまったのだ。
10月26日、コンサート当日のホールの様子の本番前に取材した。みなとみらい大ホール。クローク付きの石造りのロビーを2階へあがると、大ホールへの扉がある。窓の外は雨。開演は19時。クローク、エントランスロビー、ホワイエにも20名のレセプションスタッフが配される。これはオーケストラの公演などでも対応できる人数だそうだ。そしてホールの中。重厚なパイプオルガンの前のピアノにピアニストがたった一人で座り、2020席の3階まである観客の椅子には、たった一人が座る。座ったらしい。私はその現場を見ていない。誰が、どう訪れ、何を飲み、聞き、帰ったかを知らない。そして何が演奏されたかも。
今回のトリエンナーレは「場に関わる」がテーマ。そしてこの作品はお金というシステムによって多くの人にとって「場に関われない」作品になるのではないのだろうか。
「いいえ。その「場」というのは、直接的な意味ですよね?私にとって「場」の解釈とは、そうではないのです。どんな形でも「場」に関わることはできます。何が行われているのか見ようとする人、オークションというシステムを使う人、HPでオークションの模様を見る人、単に思うだけでもいいのです。すべてが「場」に関わっています。そして私が“for you”を弾く時、それは複数のyouではなく、どんなときでも単数のyouに向けて弾いています。」
森の中で木の倒れる音とホールに響き渡ったたった一人の誰かのために弾かれたピアノの音。私には聞こえないのか、聞こえるのか。イマジネーションという美しい奇跡が音として形を変えて届くのかもしれない。あなたには?その音はどんな音色で響きますか?
「私はきっと見に行くと思う。どんな木が倒れたか。どんな形だったか。どうやって倒れたかのか。探しに行くわ。きっと。」誰もいない森の中の倒れた木の挿話について、もしかしたらこういう答えを物語の中で女性はそう答えたのかもしれない、とぼんやりとした記憶を引き出しながらそう思った。
<作品データ>
横浜トリエンナーレ2005 "for you"
■日時:2005年10月26日(水)20:00演奏開始。19:30
■場所:横浜みなとみらいホール 大ホール(2020席)
〒220-0012 横浜市西区みなとみらい2-3-6
TEL:045-682-2020 FAX:045-682-2023
みなとみらい駅(東急東横線直通みなとみらい線)下車、
「クイーンズスクエア横浜連絡口」より徒歩3分
http://www.city.yokohama.jp/me/mmhall/
■ 演奏:向井山朋子(Pf)
■ 観客動員数:1名
■演奏時間:およそ15分
■ 【プログラム】(ピアニストによる15分の特別プログラムが以下の作品から選曲された)
モーツァルト[幻想曲 ハ短調kv 475]
テン・ホルト[悪魔のダンス2番]
シューマン[アラベスク]
佐藤聡明[インカーネーション]
ジェフスキー[ピアノ曲4番]
ザグニー[N2]
<横浜トリエンナーレ2005 "for you">
ピアニストの向井山朋子が2003年から開始したプロジェクトで、ただ一人の観客を対象としたピアノ・コンサート。一枚のコンサート・チケットはオークションにかけられ、最終落札者がただ一人の観客、「あなた」となる。オークション開始は2005年9月27日10:00時。2005年10月19日20:00に100万円で落札。このオークションを含む実演までの一連のプロセスが、横浜トリエンナーレ2005における向井山朋子作品、"for you" となった。

向井山朋子 “for you” リハーサルの様子 Photo by bob
■向井山朋子HP:http://www.mukaiyamatomoko.com/
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